東大合格者が10年に1人といった高校から、東大合格を勝ち取る人はどんな人なのか。精神科医の和田秀樹氏は「私の弟がそうでした。東大には10年に1人しかいっていない学校で、自分の成績も学年で60~80番ぐらい。それでも東大法学部から検察官になりました。ポイントは『厚かましさ』だと思います」と説く――。(前編/全2回)
撮影=プレジデントオンライン
精神科医・和田秀樹さん

学生時代の苦しさを書きたかった

――和田さんの著書は数多いですが、小説は今回の『灘校物語』(サイゾー)が初になります。なぜ初めての小説で灘校時代をテーマに選んだのですか?

僕の学年って、灘校の中でも変わった人が多かったんです。例えば、コラムニストの勝谷誠彦、イスラム学者の中田考がいた。警視総監になった吉田尚正や、オウム真理教事件で有名になった弁護士の伊藤芳朗もいた。

そのように僕の学年は割と変わった人がたくさんいたことを「文春オンライン」で小林哲夫さんという方がお書きになったら、その記事が話題になったんですね〈2017年9月13日掲載「『灘高校1979年卒』の神童は、大人になってどうなったのか?」〉。

それで担当編集の穂原俊二さんに、「これはもう小説にするしかないですよ」と言われたので、書いてみることにしたんです。穂原さんはどちらかと言うと「灘校の愉快な仲間たち」みたいな感じで考えておられたんだろうけど、僕としては自分が学生時代にどれだけあがき苦しんでいたか、を書きたかったんです。