これが感染症に対する危機管理のやり方だ

現在においては、新型肺炎の実体が徐々にわかってきた。致死率もそれほど高くなさそうだ。ゆえに現在は、重症患者に対してしっかりと対応できる対策に力を入れることはもちろんだ。

しかし、それは今となって言える話であって、感染症、特にそれが未知なものの場合には、よく分からない初期の段階で感染を防ぐ強烈な対応が必要となる。

他国で感染症が広まり、その感染症から日本国を守るためには、シンプルに次の2つが国家としての対応の柱となる。

1つは、その外国からの感染症の流入を止めること(国外対策)。2つは、国内に感染症が流入したのであれば、しっかりと検査・追跡・監視していくこと(国内対策)。

課題解決の手法は、このようにまずは「大きな柱」から考えなければならない。

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日本の法律の体系は複雑怪奇なものとなっている。これは大きな柱から考えるのではなく、中央省庁という巨大組織の各部局が自分の目の前のことだけを見て、これまでのやり方や他の法制度との整合性をとりながら法律を構築するために、どうしても枝葉末節にこだわったものになってしまうからである。

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これまでは政治家が大きな方針を示さずに、役人に法律の構築を丸投げしていたのであろう。だから、使い勝手の悪い法律や制度ができてしまう。

もちろん政治家が細目についてまで口を出すことはダメだ。これまでのやり方や他の法制度との整合性をはかっていくための技術や知見はやはり役人に備わっている。多くの場合、そのような技術的専門的知見を政治家は持ち合わせていない。

政治家は大きな方針、大きな柱を示す。役人は技術的、細目的な作り込みをする。

これが政治と行政の役割分担だ。

そして、現在感染症対応に使えそうな法律である感染症法、検疫法、出入国管理法の問題点は、それらの法律は、患者や症状のある「個人」(一部は症状がなくてもウイルスを持っている個人)に対して、政府が対応することになっていることである。本来、感染症対応の原理原則は、「症状の有無にかかわらず」「感染地域からの流入者全般」に対して大きく網をかける対応をすることであるのに、現在の法律はそうなっていないのである。

ゆえに、「個人個人」を対象に「ウイルスや症状を確認してから」、その「個人」に対応する構造になっている現在の法律を、「ウイルスや症状の有無に関係なく」「感染地域からの流入者全般」に対して大きく網をかける対応をする構造に抜本転換しなければならない。

このような大方針を示すのが政治の役割であり、それを示さなければ、感染症流行の危機事態に対応するための法改正の必要性が生じたときでも、役人はこれまでのやり方との整合性をはかり、個人個人のウイルスや症状を確認することを大前提とする法律の改善しか行わない。そのような不十分な法律改正しか行われなければ、国家が適切な対応をすることができず、結局感染の広がりを招いてしまうという悪循環に陥ってしまう。

この悪循環を断ち切るのは「政治の力」によってしかできない。法律の構造を抜本的に変えていかなければならないのだ。

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