1919年、内務大臣だった後藤新平氏が都市計画法を策定している。高所から東京という土地を造成するため何が必要かを考慮し、学校や公園、街路、下水などを計画の中に盛り込んだ。
それが23年の関東大震災でご破算になると、震災直後には帝都復興計画を策定して区画整理をやり直した。
その予算は当時としては破格の13億円という額だった。実際は半分以下に縮小させられたが、当時の都市造成事業としては世界最大級のものだった。日本にもそれほど大局からものを観て、実行に移せた政治家がいたのである。後藤氏が念頭にいれた道幅は80メートルという広さで、現在でも皇居外苑付近にみられる空間の広がりはその名残りである。
いつの間にか、こうした都市計画を策定する政治家は失せ、小役人が都市の将来像を用途地域制という方式で考えるようになってしまった。それにより容積率や建蔽率という敷地面積に対する規制が先行し、都市計画という大きな枠での捉えかたを失っていくのである。
極論すれば、都市行政にかかわる役人をすべて入れ替えても構わない。今後50年を費やし、東京を今後500年つづく聖都にするために一からやり直す。それは苦難の連続になるが、できないアイデアではない。地権者との交渉は困難を極めるだろうが、大きな国家計画として将来の子供たちのため、日本という国家を繁栄しつづけさせるため、実行に移せないことはない。良識ある市民であれば、ほとんどが納得するだろう。
アメリカの不動産誌「全米不動産投資」の調査によれば、回答者の65%は2010年、投資額を増やして「買い」に動くと答えている。さらにアメリカの大手施工業者トール・ブラザーズの報告では、「業界はやっと長いトンネルを抜けた。新築住宅の売上は過去1年で最もいい」という段階にまで達している。
長期的な見方では、アメリカの不動産は再び資産としての価値を高めるサイクルに入ったといえる。そこには「スクラップ・アンド・ビルド」とは正反対の修復と改築を繰り返して「保存」していく姿勢がある。同時に、資産としての不動産を孫子の代にまで残す文化が連綿と続いている。
しかし、富裕層だけでなく中流層にも不動産を蓄財目的として使う傾向が強まり、それが社会格差を広げる結果にもなっている。その波に乗れるか乗れないかで、富める者とそうでない者の格差が生まれ出るのもアメリカの現実である。