タイム誌のオンライン最新版に「アメリカの不動産市場は再浮上するのか」という記事が載った。

アメリカの住宅価格は2007年夏のサブプライム問題以降下降しつづけてきたが、ようやく反転する気配が見られるという内容である。今年4月の中古住宅の売上は前年比23%増という数字だ。新築住宅も前年比48%増に達しており、価格もいよいよ底を打つ日が見えてきたと伝えている。

ここで住宅事情を取り上げたのは、日米間で住宅に対する市民の意識がほぼ正反対だという事実を指摘したいからだ。不動産バブルや価格下落という日米共通の現象はあっても、不動産に対する考え方には大きな差異がある。

その背後には、住宅が何十年という歳月の後、評価額が上がるか下がるかの決定的な違いが介在している。アメリカでは過去50年、数年間の価格下落傾向はあっても、ずっと右肩上がりで推移している。今後もその傾向は続くはずだ。

5月に上梓した拙著『なぜアメリカの金融エリートの報酬は下がらないのか』(プレジデント社)では、金融業界だけでなく、住宅や教育などの社会問題にも踏み込んでいる。

 


 

日本では不動産の新しさに価値を求める傾向が強いため、中古住宅、特に中古マンションの価格が上がるということは日常的なことではない。ところがアメリカでは過去50年、短期的な停滞はあっても中古マンションの価格は右肩あがりで上昇している。06年夏から停滞の時期に入ったが、半世紀という長期スパンで眺めると価格の上昇カーブは堅調である。

第一の理由は、建築物への思い入れと価値が孫子の代まで続くという価値観が揺るぎないということだ。日本の住宅寿命は26年という固定資産台帳から算出した数字がある。一方のアメリカは44年で、イギリスにいたっては75年という長さだ。

ただこの数字は日本の一戸建て住宅やマンションが26年で朽ち果ててしまうということではない。住宅を資産としてではなく、耐久消費財としてどんどん建て替えさせる風潮と、日本の税制によって26年で終わりにさせる文化を作ってしまったということだ。

たとえば都内の一等地に200坪の所有地を持つ人がいるとする。その土地に築20年の木造住宅が建っている。家屋はあと20年間十分に住めそうであるが、家主が亡くなった。その時、遺族は相続税を支払うだけの現金がなく、やむなく土地と建物を手放す。東京都内の一等地で築20年の家屋と200坪の土地のセットを購入するバイヤーはほとんどいない。いないというより、売買を仕切る不動産屋が住み心地のよさそうな住宅であっても建物を壊し、更地にして分割、売却する。その方が高く売れるからである。

土地価格が戦後一貫して上昇し続けたのは、土地が資産として価値をもったからに他ならない。けれども戦争がよく勃発し、自国の国境が時代によって変わるような国では土地は資産として見なされない。そうした国では土地よりも金や宝石、現金で所有する傾向が強い。一方、日本は依然として土地神話が続き、土地所有に経済的メリットを見出す文化が残っている。

 


 

日本の土地神話は根強い。中央・地方政府の土地行政と法律により、固定資産税が高い方が、税収が上がるという論理がある。評価額の高い方が都合がいいのは政府だけでなく、金融機関もそうだ。

地価が高い方が担保価値が上がるので好ましいし、借手により多くの資金を貸せるばかりか、売却時には売り手にも恩恵がある。

こうして、世界でもまれに見る異様な土地国家が生まれ出るのである。そして時代が経つにしたがい、大きな区画からより小さな区画へと切り刻まれ、近隣と調和しない無秩序な家屋が建てられては壊される「スクラップ・アンド・ビルド」のサイクルに入る。

特に東京のような大都市はこの傾向が顕著で、景観は悪化の一途を辿っている。欧米の住宅事情を知っている方であれば、東京の住宅事情の劣悪さはよくおわかりだろう。

『亡国マンション』(光文社)の著者で一級建築士の平松朝彦氏は東京のうさぎ小屋についてこう書いている。

「私は東京を世界遺産に指定してもらうべきだと考えている。もちろんこれは、貧困住宅の象徴として世界的に貴重だからである。これほどのスケールをもった貧困なゴミ住宅の群れは、間違いなく世界の先進国では例がない」

けれども歴史を振り返ると、東京にも大局的な見地からの都市計画が策定された時もあった。