自分をいじめた人のフルネームは覚えている

【小林】私が受けたいじめは、ずっとなかったものにされていました。たぶん学校の先生も気付いていないですし、両親も知らないと思うんです。私をいじめた人だって、私のことは絶対忘れていると思います。でもいじめられた側っていじめた人のフルネームをしっかり覚えているものなんですよ。漢字も間違えません。私のなかだけでくすぶっていたものを表に出すことで、こういう体験があったということは人に知ってもらいですね。私のいじめはなかったものではない、ちゃんとあったのだと。

――「この本を書いている間、私はほとんど泣いていた」とあります。当時の体験を書き起こすのは、相当苦しい作業だったのでは。

【小林】そうですね。以前、生活保護を受けていたころの体験をつづった『この地獄を生きるのだ』(イースト・プレス)という本を出したときには一度も泣かなかったのに。自分にとって、生活保護を受けながら自殺未遂を繰り返していたときよりも、10代のほうがはるかにつらかったです。

自分を認めてくれる大人がひとりもいなかった

――当時を振り返って、周囲の大人にしてほしかったことや、かけてほしかった言葉はありますか。

【小林】先生がもう私のことを完全に問題児として見ていたので、最初に私の味方になってほしかったなとは思います。でも今考えてみたんですけど、私自身が先生に対して1ミリも期待していなかったので、正直あんまり思い浮かばないんですよね。

――先生には最初から期待をしていなかった。

小林エリコ『生きながら十代に葬られ』(イースト・プレス)

【小林】小学校のころから「あなたがいると迷惑なのよね」と先生に言われるような経験があったので。私の周りには、私のことを認めてくれる大人がひとりもいなかったのは、不幸なことだったんじゃないかと今になって思います。子どもの世界はどうしても家庭と学校になりがちです。狭い生活圏で暮らしていると、自分に与えられる評価も限られてきます。私の一番の救いは、高校生のときに多様な価値観のある人たちと知り合えたことでした。

――小林よしのりさんの漫画で知って足を運んだ「HIV訴訟を支える会」で、末広さんという大学生の女性と仲良くなるエピソードがありますよね。小林さんにとって末広さんはどんな存在でしたか。

【小林】末広さんは初めて私のことを褒めてくれた大人です。私は小学生のころから絵の展覧会でよく賞を取っていたこともあって「私を評価してくれるものは絵しかない」と思い込んでいましたが、末広さんは「エリコはたくさんものを知っているし、面白いし、難しい本をたくさん読んでいて偉いね」って。そういう風に私を褒めてくれた人は今までいませんでした。