増えている「電車の網棚にわざと遺骨を置き忘れる」罰当たりな行為

お墓の最古の例は、シリアの洞窟で発見された6万年前のネアンデルタール人のお墓だとされている。日本では大阪府藤井寺市の遺跡から、2万5000年前(旧石器時代)のお墓が発見されている。

邪馬台国の女王、卑弥呼について書かれた『魏志倭人伝』(3世紀)には、わが国の葬送事情について、述べられている。そこには、庶民でもきちんと棺桶を作って遺体を納め、土を被せて葬った、とある。

現在のような、仏教寺院が庶民の葬送を取り仕切り、お墓の管理をしだすのは江戸時代の初期(17世紀後半)から。江戸幕府のキリシタン禁制に伴う「寺請制度」、いわば“国民総仏教徒化政策“によって、ムラ人はすべてムラの寺の檀家になり、境内地に一族の墓を立て、葬送のすべてを菩提寺に任せたのだ。

竿石と呼ばれる四角柱の墓石に戒名を彫った、現在のお墓とさほど変わらない意匠の墓ができるのもこの頃。それ以前は河原などで拾ってきた丸い石を墓石に使っていた。

撮影=鵜飼秀徳
江戸時代の墓(三重県)

地域によっては、それはそれは豪壮なお墓もある。一族がお墓を大事にして、守り続けてきた証拠だ。優れた意匠の古いお墓をみると、よくも機械彫りの技術がない時代に手彫りで掘り上げたものだと、石工の気迫と芸術性に感心する。

しかし、現在、とくに東京などの大都市では、コストの問題や、墓守りする次世代がいない、などの理由でほとんど土地付きの墓を立てない。多くが永代供養の納骨堂に収めるのが主流になっている。あるいは、遠く離れた故郷にある菩提寺のお墓の管理も、できなくなっている。

死者の弔いは人類だけの特別な行為

現代のお墓の形態の変化は、時代に合わせた「ダウンサイジング」であり、供養をしなくなった、ということではないが、最近増えているのが「電車の網棚にわざと遺骨を置き忘れる」「公共のトイレなどに遺骨を流す」などの罰当たりな行為である。

写真=iStock.com/Kanawa_Studio
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ここで言っておきたいことは、死者の弔いは人類だけの特別な行為だということ。死んでもなお、その人を思い続ける——。他者にたいする、究極の慈愛の形が弔いなのだ。そういう意味ではお墓まいりは、「人間が人間であることの証明」ということもできるかもしれない。