森友・加計学園問題、そして「桜を見る会問題」でも繰り返された「文書は廃棄した」「データは消去した」「復元できない」という政府答弁。形式的にルールに従ってさえいれば問題ない、とする政府の考えはおかしくないか。橋下徹氏の見解は? プレジデント社の公式メールマガジン「橋下徹の『問題解決の授業』」(12月17日配信)から抜粋記事をお届けします。

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間違ったルールならルール自体を改めるべき

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安倍晋三首相は臨時国会が閉幕した12月9日の記者会見で、「桜を見る会」問題については反省の弁を述べ、国民に謝罪した。「桜を見る会」の在り方を検討し直し、招待者名簿の保存期間も現在の1年未満から1年以上に変更することを示唆した。

ただ反省の弁は、「桜を見る会」のことよりも、このことで重要な国会審議の時間が使われてしまったことを焦点にした感じもして、それは野党批判のニュアンスが漂っていた。野党が「桜を見る会」のことばかりを取り上げるので、重要な国家課題を審議できなかったというニュアンス。安倍さんのこの言い方には、当然野党が反発した。そして、前夜祭のお金の流れが安倍さんの政治団体の政治資金収支報告書に記載されていない点や、招待者名簿のバックアップデータが存在したのにそれを国会に提供しなかった点については特段触れなかった。

僕は、成熟した民主国家においては、国家の活動についての「記録」を「残す・開示する」ことは必要不可欠であって、この点が不十分な現在の日本政府の体質を抜本的に改めなければならないと強く思う。安倍さんがそのようなアクションをとらないのであれば、与野党含めた国会議員に是非、それに取り組んで欲しいと思っている。