学識や経験に差があっても、それを笠に着るのは間違いです。いまの時代、学識や経験のある人でも、自分の専門分野以外は知らないことのほうが多いものですから。

たとえば「レッドストーン」をご存じでしょうか。これは小学生に人気のゲーム「マインクラフト」の中にある回路で、プログラミング教育の教材にも使われています。いまどきの小学生はレッドストーンを普通にいじっていて、先生たちよりずっとプログラミングの経験値が高い。もはや「先生だからよく知っている」「子どもだから知らない」という構図は通用しません。

実際、いま活躍して目立っている人は、みんな会話がフラットですよ。堀江貴文さん、落合陽一さん、西野亮廣さん……。彼らは学歴とか社会的地位で人を見ないで、その人が何を話しているのか、何をやっているのかで判断します。だから異なるクラスターの人ともスムーズに情報交換ができて、クリエイティブなアイデアが次々に出てくるわけです。

お互いにフラットだという意識があれば、自分が知らないことを聞いても恥だと思わず、素直におもしろがることもできます。僕はLINEもVineもTikTokも、みんな中高生から教わりました。もし謙虚さがなく、子どもに教わることに抵抗を感じていたとしたら……。いまのことを何も知らなかったでしょうね。

フラットな意識は、話者交代を促す意味でも大切です。喫茶店で、隣のテーブルの会話が耳に入ってくることがあります。よくあるのが、上司が部下に向かって延々としゃべっているケースです。このように話者交代がない会話は本当につまらない。実質的な情報の交換がなく、クリエイティブではありません。どちらか一方が話し続けるカップルの会話や、いつも同じ人ばかり発言する会議も同じ。会話の参加者がみんなフラットだと思えば、こうしたことは起こりません。10人いたら10人が平等に話者交代する会話のほうが、ずっと刺激的です。

『TED』トークの時代は終わった

プレゼンにも人を魅了するものと席を立ちたくなるものがあります。

人を魅了するプレゼンというと、『TED』を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。『TED』の特徴の1つは、緻密に構成されたトークです。ジョークで聴衆を温めて、計算通りに結論に導いていくスタイルです。『TED』はたしかに革新的でしたが、いまはさらに一歩進んで、ポスト『TED』の時代になった気がします。