毛沢東のために命を投げ出す人は、もういない

【佐藤】キリスト教は、性交渉しないで子ども(イエス・キリスト)が生まれたという教義を絶対に変えません。死んだイエスが3日後に復活するという教義もそう。死んだら人は魂も肉体も消滅するが、終わりの日が来ると復活して、天から降りてきたキリストによる最後の審判を受ける。これらは、現代の科学からすると、全部荒唐無稽ではないですか。しかし、その荒唐無稽なものを絶対に譲らない。堅持している。それがキリスト教の強さです。だから21世紀まで連綿と生き残ってきたのです。そうしたキリスト教という伝統の礎に、トランプはちゃんと乗っかっている。

アリー・ハーメネイは、12番目のイマームはお隠れの状態になるけれども、その間はアーヤトッラー、聖職者を遣わしている。この世の終わりには、お隠れイマームが現れて助けてくれる。その教義を信じているのです。あるいは信じているふりをしているわけです。そういう非合理なものによって、イランという国家が成り立っている。そこを見逃しては、いまのイランは理解できませんよ。

一方、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は、アジアからヨーロッパ大陸にまたがるロシアという国家が、独自の形態で発展していくという予測を持っている。だから、ロシアが存続することは世界史的な意義があると主張しているのです。これは一種の地政学と言っていい。このユーラシア主義ともいうべきイデオロギーで生き残りを策しています。

では、翻って中国はどうか? 今でも、天安門広場には毛沢東の写真が掛かっています。しかし、そのために命を投げ出す人は、たぶんもういないのです。

安定化させる「イデオロギー」が見つからない

【手嶋】そうだとすると、何をあの広大無辺な国家を統合する原理に据えるのか、いくら「習近平思想」などと言っても、説得力がありません。

【佐藤】仮に「ナショナリズム」を持ち出して、組み立ててみましょう。漢民族は、ナショナリズムでまとまるかもしれませんが、ウイグル人や、チベット人とは、さらなる緊張を生じてしまいます。これではうまくいかない。だから、ナショナリズムは、中国を束ねる決定的な武器にはなりえません。

すでに4億人が信じている宗教を考えても、そもそも、それぞれの教義も異なりますし、いまの中国の政権にとって、宗教は「警戒」の対象ですから、使えそうにありません。福島さんの著書によれば、18年4月に、膨大な宗教人口を管理する国家宗教事務局が、党中央統一戦線部の傘下になったといいます。党中央が、直接宗教工作を指導する形にしたことは重要です。その影響は、さっそく教育にも及んでいて、19年に改訂された小学校向け教科書から、外国文学作品に出てくる「神様」「聖書」などの表現が削除されたそうです。

【手嶋】それは、露骨と言えば、あまりに露骨ですね。

【佐藤】しかし、中国史を紐解ひもとけば、国家が乱れたときには、必ずと言っていいほど民衆は宗教と結びついて不満を爆発させてきました。宗教が起爆剤となって、巨大な政治のマグマと化し、歴代の王朝を崩壊させてきました。いまの習近平指導部は、そうした現実をよく学習しているのでしょう。それだけに、中国を安定化させる決め手は、やはり、一種のイデオロギーしかないと思います。しかしながら、それがいまだに見えない。この怖さを心底知っているのは、習近平指導部ではないでしょうか。