「野生の思考」というと、未開の部族の非科学的な野蛮の思考と思われそうだ。だが、そうではない。それは、私たちが生きていくうえでもっている、もっとも基礎の部分にある知を指しているのだ。

カオスの状況を、秩序ある状態に変える。あるいは、そうすべく、手がかりを状況に埋め込む。それは、人が生まれつきもっている「野生の思考(知)」である。そして、その知は、ビジネス世界においては必須の知であるだろう。

というのは、ビジネス世界とは、想定外のことがいつも起こる可能性を秘めていて、しかもそれがそのまま組織の生死につながってしまう世界であるからだ。いつ何が起こるかわからないカオスの世界では、野生の知の感度を最大限研ぎ澄ませておかないといけない。

だが、組織が大きくなり、仕事の分担・権限が定められるにつれて、野生の知の居場所がなくなる。悪貨は良貨を駆逐するではないが、分析志向や管理志向が組織において強まるにつれ、野生の知が発現する場が奪われる。本当は、カオス状況に置かれているにもかかわらず、秩序だっているかのように見なし、そう思い込んでしまう。

いま、自身が直面する状況は、いつの場合でも比類のない独特のものである。それを、周知定番の問題に解消して安心してしまう。それを解くのにまた、既存のマネジメント知識に頼ってしまう。

あらためて、歯痛とキツツキのクチバシとを結びつけるエピソードの価値を再考したい。もちろん、無鉄砲に、何でもよいから結びつければよいということを言っているわけではない。

現実世界を秩序づけたいと思う知的欲求、自身にとって意味ある形に切りとろうとする気持ちや意欲、この気持ちが組織の中に保たれているかどうか、これである。