内蔵助の下の「部長クラス」は半分以上も抜けてしまった

【小谷】組織の面では、番方と役方は対立構造にあったのでしょうか。

【山本】仮に役職を上級、中級、下級に分けたとすると、勘定などを行う役方の多くは下級です。中級以上は、基本的に番方です。その中で優秀な人が上級の町奉行や留守居役、勘定奉行になる。番方、役方というよりも、事務方として苦労している人とあまり苦労していない武士との対立はあったでしょうね。

【小谷】では、同じ役方の中でもキャリアとノンキャリアのような対立もあったのでしょうか。

【山本】身分制の時代なので、それは当然のことと思っていました。

【小谷】そう考えると当時の藩は、さまざまな立場の人が混然一体となって動いている地方自治体のような行政機関だったと考えられますね。

【山本】おもしろいのは、赤穂藩の場合、討ち入りした人は、番方の中にもいたし、役方のキャリアにもいたし、ノンキャリアにもいたことです。上層から下層までまんべんなくいました。

――会社経営に置き換えると、社員全体の意識が高くてすばらしい組織といえそうです。

【山本】そうですね。ただ、内蔵助は自分に次ぐポジションから多くの脱落者が出たことを残念に思っていたようです。内蔵助を役員とすれば、部長クラスが半分以上も抜けてしまいました。彼らはなまじ資産があるため、お家取り潰し後もやっていけたわけです。その分、課長や平社員クラスが「討ち入ります!」と言っていたのですね。

【小谷】さまざまな層が討ち入りに参加したのはよかったですね。何かを成し遂げるときには、人材の多様性が必要です。同じ層の人材ばかりが集まると、考え方にも偏りが生じます。その意味では、堀部安兵衛のような急進派をはじめ、さまざまなメンバーがいることでうまく態勢ができ、討ち入りに成功したのでしょうね。

(構成=向山 勇 撮影=岡村隆広 写真=AFLO)
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