日本の冬の風物詩・忠臣蔵。討ち入りの実像を金銭的側面から描いた『「忠臣蔵」の決算書』の著者である東京大学教授・山本博文氏と公認会計士・小谷和成氏との対談から浮かびあがる、大石内蔵助の類まれなる人心掌握力とプロジェクト遂行力とは――。

忠義だけでは首は取れない

――「忠臣蔵」で知られるこう事件。元禄15年12月14日(1703年1月30日)に播磨国はりまのくに(現・兵庫県)赤穂藩浅野家の家臣47人が、主君・浅野内匠頭あさのたくみのかみあだとして、江戸市中本所の吉良上野介きらこうづけのすけ屋敷に討ち入りを行い、首を取りました。

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【山本】赤穂藩筆頭家老の大石内蔵助おおいしくらのすけが遺した『預置候金銀請払帳あずかりおきそうろうきんぎんうけはらいちょう』(以下、『金銀請払帳』)という史料には、討ち入りまでのお金の出入りがその来歴や使途とともに記されています。赤穂藩が取り潰しになってからのお金の使い方をみていくと、浅野家再興のための仲介役を江戸に送り込むなど、内蔵助が当初、討ち入りではなくお家再興を目指していたのは明らかです。その道が途絶えたために、最終手段として討ち入りを選んだ。リーダーとして、優先順位を決めて実行していったわけです。