「ヤフトピはヤフーやスポンサーにとって悪いニュースこそを載せる」。読売新聞からヤフーに移りヤフトピを創設した奥村倫弘(現東京都市大学教授)が当時のニュース部門の責任者・宮坂学(現東京都副知事)に言った言葉だ。このヤフー・ニュースの「公共性」は、ラインとの統合によってどうなるか。『2050年のメディア』(文藝春秋)でヤフー・読売・日経のこの20年の攻防史を初めて明らかにした下山進が分析する——。
写真=時事通信フォト
経営統合に関する共同記者会見で握手するヤフー親会社Zホールディングス(HD)の川邊健太郎社長(左)とLINEの出沢剛社長=2019年11月18日、東京都港区のグランドプリンスホテル高輪

96年の誕生時から「ヤフー」の海外展開はできなかった

私は『2050年のメディア』を次のように終えている。

デジタル化とグローバル化の潮流に抗して企業は生き残れない。
ヤフー・ジャパンが、創業時の進取の気性をもって、ソフトバンクグループとともにグローバル化に挑むとすれば、それはそれで、また新たな心躍る物語の誕生ということになるだろう。

11月18日、ヤフーとラインの統合が正式発表され、川邊健太郎ヤフー社長と、出澤剛ライン社長の記者会見が行われた。ヤフーとラインの統合については、13日夜からニュースが流れ始め、14日の各紙朝刊はこぞってこれを書いた。多くの記事は、ペイペイとラインペイの統合シナジーなどに目を向けていた。が、私は、このニュースを最初に聞いた時に、ああ、いよいよ、日本のヤフーがグローバル化に挑もうとしているのだな、と思ったのだった。

というのは、ネットというボーダーレスの空間で興隆してきた企業でありながら、ヤフー・ジャパンは、96年の誕生時から米国ヤフーとの契約によって、ヤフーの商標をつかった海外展開ができなかったからだ。

「コンテンツをつくりたい」という社内の声を抑えてきた

米国のヤフーは、記者やプロデューサーを雇い、自らコンテンツをつくってメディア企業になろうとした。一方、日本のヤフーは、月間224億PV(2004年当時)というガリバーになっても、「自分たちでコンテンツをつくりたい」という社内の声を抑えて、あくまでもプラットフォーマーに徹した。

下山 進『2050年のメディア』(文藝春秋)

その結果、米国ヤフーは、さまざまな経営者に変わったあと、事業体としてその寿命を終え、通信会社のベライゾンに売却された。ヤフー・ジャパンの株をもっていた後継会社のアルタバが、ヤフー・ジャパンの全ての株を売却したのは2018年の9月。

このとき、ソフトバンクの孫正義は、初めて米国からの縛りから逃れ、ヤフーを完全に自由にできることになったのだった。そして、最初の一手として、ヤフーの株を買収、ソフトバンクが45パーセントの株を持つ親会社になった。これが、2019年6月27日。

その次の手が、子会社となったヤフーと日本のラインの経営統合だった。