ところが東海道新幹線は、この日も朝から通常通り運転を行っていた。なぜなら鳥飼車両基地は、夜を徹して新幹線車両を高架線上に退避させ、車両を水没の危機から守り通したからであった。

当時、国鉄東海道新幹線支社の運転車両部長だった齋藤雅男氏は、著書『新幹線 安全神話はこうしてつくられた』で当時の緊迫した対応を振り返っている。齋藤氏によると、安威川は車両基地よりも水面が高い天井川であり、当時は河川の改修も進んでいなかったため、車両基地水没の懸念は開業時からあったという。虎の子の新幹線車両を水浸しにするわけにはいかないので、車両を高架の本線上に退避させる手順を定め、何度も図上演習を実施するなど訓練を重ねていたのである。

7月9日21時34分に安威川が警戒水位を突破すると、基地に留置していた13編成と保線用のモーターカー(作業車)を、営業運転が終了した上り本線上に順次退避させていった。退避が完了したのは日付が変わった午前1時半。この時基地は、すでに湖のようになっていたという。本線上に退避した車両は、翌朝回送列車として駅に送り込まれ、始発からダイヤ通りに運転を開始したというわけだ。

車両を“高台避難”させた関東鉄道の例

実は最近、似たような事例があった。2015年9月9日から11日にかけて発生した「関東・東北豪雨」では、鬼怒川の堤防が決壊し、茨城県常総市の広い範囲が浸水。鬼怒川に沿って走る関東鉄道常総線も、路線の3分の1に当たる17.4kmが水没し、唯一の車両基地である水海道車両基地は最大1メートル浸水した。

2015年9月24日の産経新聞によると、常総線は10日8時ごろから水海道駅付近、14時過ぎから全線の運転を見合わせた。車両基地の社員らは14時30分ごろから16時ごろにかけて、当時基地に留置していた53編成中、検査中などで動かせない車両を除いた46両を、標高の高い守谷駅や取手駅に退避させた。車両基地は11日5時ごろから浸水が始まったが、大半の車両は難を逃れ、18日から一部区間での運転再開が可能になった。