どの球技も好きになれば、きっとそれぞれに面白いのだろうが、球技がまったくわからない私のような人は同じ感想を持つのではないか。

それにしてもスタジアムの熱気はすごかった。満員の観客の8割は、日本の赤と白のユニフォームを着て観戦をしていたし、試合中に起きたウエーブも地鳴りのように響いた。

写真=時事通信フォト
ラグビーとは戦争だ!/世界が驚いた日本代表の大活躍。飯島氏は「前回のイングランド・ラグビーワールドカップの決勝が初めてのラグビー観戦だった。決勝でルールを教えてもらっていたことを、『飯島さんは贅沢ですね』などと皮肉を言われたものだった」という。

ラグビーのことが気になって少し調べてみたが、いろいろと興味深いことがわかった。1823年のイギリス、まだサッカーとラグビーという競技は存在せず、フットボール(蹴球)として各学校が独自のルールを設定して楽しんでいた。その中で、ラグビー市にあるパブリックスクールでは手で持って走ることが許されたのがラグビーの起源である。ラグビー校で、はじめて手を使ってボールを運んだのがウィリアム・ウェブ・エリスという名の少年とされ、ワールドカップの優勝チームに与えられる純銀の賜杯は「ウェブ・エリス・カップ」と名付けられている。

と、ここまではNHK「チコちゃんに叱られる!」などの番組でも紹介されたものだが、では、そもそもラグビーの起源であるフットボールの起源はどうなっているのであろうか。調べていくと、大きく2つの説があるようだ。

一つは、中国の神話上の黄帝が軍事訓練の一つとしてつくり出したというものだ。10世紀の北宋時代に2つのゴールを使う競技が行われていたというから驚きだ。

もう一つは、8~11世紀、戦争に勝ったイングランド人がデーン人の将軍の首を蹴り合っていたとされている。それが「モブフットボール」という祭りとなって広まった。これは、川を境に南北で2チームに分かれ、離れた2つの石臼をゴールとする。何百人もの男たちがもみ合いながら、サッカーボールより一回り大きい革製ボールを自陣ゴールに運ぶものだ。ルールはほとんどなく、噛み付くのも殴るのもOKで、いがみ合う同士が敵味方になって戦うものだから、人々が暴徒化して街を壊し、中世には禁止令が出たこともあったという。

森喜朗元総理の人脈力のつけかた

日本のラグビーを語るうえで、なくてはならない存在が森喜朗元総理であろう。首相在任当時は、メディアからの猛烈なバッシングを受けた。その多くは根も葉もないデマ、今でいうフェイクニュースだった。

今回の日本大会の招致でも、決定的な役割を果たしたのが森元総理だった。パーティーやレセプションにも元総理が出席しようものなら、世界中の閣僚やスポーツ協会がひっきりなしにあいさつに訪れる。2時間以上にもなる会が終わるまで、森元総理の前にずっと行列ができているのは関係者にとって見慣れた光景だ。