なぜ今どきの大企業には「利他の心」が消えたのか

「見えない価値」を大切にしてきた経営者のひとりが稲盛和夫氏だ。稲盛氏は京セラやKDDIを創業し、近年は経営難に陥っていた日本航空を立て直すなど、「経営の神様」とも呼ばれている。稲盛氏は独自の経営法「アメーバ経営」で知られる。アメーバ経営は個々の社員の採算意識を高める手法で、売り上げの最大化と経費の最小化によって、利益を効果的に上げていく経営手法として注目されてきた。

しかし、稲盛氏は一方で、「利益に対する執着を捨てよ」と一見、矛盾したようなことも示唆している。いったい、どういうことか。

稲盛氏は1997年に、禅寺で得度を受け、修行道場に入門したことはよく知られている。そこで「利他の心」の大切さを身にしみて感じたという。

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仏教のいう「利他」とはどういう考えなのか。「利他の精神」「利他主義」「利他的行動」などという言葉で使われる。利他とは、自己の利益よりも他者の利益を優先することだ。反対語は「利己」である。

稲盛氏は、2015年6月25日に行われた講演会「なぜ経営に『利他の心』が必要なのか」でこのように語っていた。

「利己的な欲望を原動力として、事業を成功させればさせるほど、経営者は謙虚さを失い、おごった態度で人に接するようになります。そして、それまで会社の発展に献身的に働いてくれた社員たちをないがしろにするようになっていきます。そのような謙虚さをなくした経営者の姿が、やがて社内に不協和音を生じさせ、ひいては企業の没落を招く原因となっていきます」
「さらに深刻なのは、経営者があまりに利益の追求に終始して、『人間として何が正しいのか』という基本的な倫理をなおざりにした結果、法律や倫理を逸脱したり、会社にとって不都合な事実を隠蔽したりして、社会から糾弾を受け、退場していくことがよくあります。このように、利己的な欲望をベースとして、会社をおこし、苦労を重ね、せっかくすばらしい企業を築きあげた経営者が、やがて自身の利己的な心によって企業を衰退させ、晩節を汚すという例は、世界中で枚挙にいとまがありません」

本当の「企業の役割」は社会や人々のために尽くすこと

関西電力の幹部にとっては、耳の痛い話だろう。電力事業は極めて高い公益性が求められる。電気が社会のすみずみにいたるまで安定供給されなければ、生命の危険にさらされることもある。したがって、電力会社の経営者は高い公益意識が求められる。いかなる権力にも寄らず、清廉であり、公平でなければならない。まさに関西電力は利他行を率先して実践すべき企業なのだ。

しかし、幹部らは会社権力の座につくや、慢心し、利益の追求に終始し、犯してはならない一線を越えてしまったのかもしれない。

前述した不祥事企業以外においても、「グローバリズム」「成果主義」の名の下に古き良き「日本的経営哲学」の喪失が進んでいるように思う。そもそも「経済」とは、中国の故事成語の「経世済民(世をおさめ、民をすくう)」が語源であり、利他の精神そのもののことである。

翻って「企業の役割」とは、社会や人々のために尽くすことであり、その結果として「利益(語源は仏教用語で「りやく」と言う)」がもたらされるのである。

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