「記憶のあり方」が変化している現代

玉川大学文学部名誉教授の岡本裕一朗氏(撮影=中央公論新社写真部)

【岡本】記憶という概念も古代ギリシアからさまざまな議論を呼んできました。それは、記憶が重要な意味をそなえているからにほかなりません。まず記憶はわたしたちのアイデンティティを構成するものですね。記憶がなければ自分が自分であるということも確認できません。記憶があるから約束もできるし責任をとることもできる。いずれにしても人間であるためには記憶がどうしても必要なのです。

プラトンもアリストテレスも記憶についていろいろ言っています。一つポイントなのは、プラトンもアリストテレスも「記憶」と「想起」を区別して考えていたことです。記憶は忘れられないで人間につきまとっているもので、人間は受動的にこの記憶から触発され情動を揺さぶられる。

いっぽうの想起は、記憶のなかから重要なことをよみがえらせようという能動的な知性の働きとされていました。プラトンは『メノン』のなかで、「探求するとか学ぶとかいうことは、じつは全体として、想起することにほかならないからだ」(岩波文庫、1994年、48頁)と言っています。

さてその記憶ですが、情報が爆発的に増えることで人間の知的活動がさまざまな影響を受けるなかで、当然記憶のあり方や記憶の仕方も変化している。広告にとって今後人々の記憶のあり方がどう変化していくかは、たしかに重大なテーマですね。

テキストを「じっくり読む人」のほうが伸びる

【岡本】わたしのまわりで起きていることで一つお話しすると、たとえば一冊のテキストをどう読むかというとき、そのテキストがどのように解釈されているかというのでいろいろな解釈本を追いかける人と、テキストに没入してじっくり読む人と、二つのスタイルの人がいます。

いまの時代の流行は、いうまでもなくたくさんの解釈本をサーベイするほうです。そうでないと基本的に評価されません。サーベイの結果、これが現在の研究の水準であると現状を押さえた上で、問題を新たにつくりなおして、議論をするというパターンです。これは、スタイルとしては非常に賢く見えるのですが、おもしろいかというとちっともおもしろくありません。

では、昔ながらのテキストをじっくり読むというほうが、優れた成果につながっているかというと、それもそんなことは一切なくてですね、こちらはこちらで評価の壁に突き当たります。テキストをじっくり読むと細かな部分がわかったり、そのテキストの文脈的な意味を一生懸命考えたりするんですが、それを論文に書いても、「なんだ君一人が理解しただけじゃないか」と言われてしまい、それがいったいどれだけの価値があるかを明示するのは難しいわけです。

しかし、視点をちょっと未来に向けてみると、正直な話、どっちのタイプが伸びるかというと、テキストをじっくり読む人のほうが伸びていく。このことの背後には、記憶と時間の関係、そして記憶と想起のメカニズムが潜んでいるように思うのです。