「周囲に自慢できるわが子」をつくった私をもっと褒めて
わが子の大学合格までの道のりに介入して、それを公然と口にして「褒めてほしい」とまで言う時代なのです。たしかにご両親も受験に際して、大変なご苦労をされたことと思います。多額の塾代や私立中高一貫校の学費といった金銭面の負担、塾への送迎といった手間暇の負担が大きいことは知っています。
長らく東大で教壇に立ってきた印象で言うと、今や東大は親との二人三脚なしには合格できない大学です。東大に限らず、難関校に合格した子供たちは、いわば親の作品、なかでも「成功作」です。学歴という見えやすい軸で、勝利をつかんだ「周囲に自慢できるわが子」をつくったわけですから、祝辞でも「作者である私を褒めてねぎらって」という気持ちになるのでしょう。
条件付きの親の愛「デキの悪い子はうちの子じゃない」
私は東大で「成功作」だったはずの子たちをたくさん見てきました。彼らは「偏差値一流校に入る」「試験で良い成績を取る」といった「競争で勝つこと」を褒められて育ってきています。そのため、「勝ち残れなかった人はダメなやつなんだ」という選民思想を持った子が数多くいます。
2016年に東大男子学生による、他大学の女子学生暴行事件が起きました。逮捕された男子学生の一人が「彼女は頭が悪いから」と取り調べの中で発言したのも、この延長線上にあると思います。
「頑張ったわが子」をその成果を理由に褒めることは、裏返せば子供を条件付きで愛するということ。出来の良い子にだけ承認という報酬を与える。反対に出来の悪い子はうちの子じゃない。そういったサンクション(毀誉褒貶)を子に与えて叱咤激励する親が、あまりにも多いのです。
兄弟や姉妹で、偏差値に差がある場合はより悲惨です。東大生の中にも、例えば「自分は、私大にしか行けなかった兄より偉いんだ」という意識を持った学生は少なくありません。こうした過度な自尊感情が生まれると「自分の現在は自分の努力と能力によるもの、それができないのは努力と能力が足りないから」と考えるようになってしまいます。
「失敗作」の子供は追い詰められますし、「成功作」の子供だっていつでもうまくいくわけじゃない。そうなるとうまくいかないときには、自分を責めるしかない。自傷系のメンヘラー(メンタルヘルスに問題のある学生)が増えたという実感があります。長年、東京大学で教員として指導をしてきましたが、そうした学生を数多く見てきました。