離婚、交通事故、アルコール依存症、そして3度目の結婚

フレッド・シュルアーズ著、斎藤栄一郎訳『イノセントマン ビリージョエル100時間インタヴューズ』(プレジデント社)

幸い、不安は外れ、無事クリスティと結婚し、アレクサという娘も生まれた。ところが金庫番の使い込みや持ち逃げなどの訴訟、夫婦のすれ違いの生活もあって、私生活は荒れてくる。夫婦関係は気まずい言い争いが絶えず、傷だらけになっていた。クリスティとは1994年8月に正式に離婚する。ちょうどそのころビリーはポップスの曲作りを停止する。

その後、相次ぐ交通事故やアルコール依存症の治療など、“お騒がせ”スターの話題ばかりが増えてくる。そんな中、2002年に32歳年下のケイティ・リーと出会って意気投合し、その2年後に3度目の結婚にこぎ着ける。

だが、結婚生活わずか4カ月目にしてアルコール依存症が悪化し、リハビリ施設に入ることになる。

ポップスづくりは休止状態ではあったが、入院中も献身的に支えてくれたケイティへの愛情を示したくて、2006年に2度目の結婚記念日のために『オール・マイ・ライフ(All My Life)』を書き上げた。

大切な人を傷つけてきた
ひとり、またひとりと
愛情のかけらもなかった

 

粗野で落ち着かない男だけれど
やっぱり伴侶なしに生きられない男なんだ

と感傷的で自虐的な歌詞を切々と歌っている。

ライブでは観客のプロポーズを演出

2008年、ニューヨーク・メッツの本拠地であり、数々のアーティストの公演に使われてきたシェイ・スタジアムが幕を閉じることになり、その最後を飾るコンサートをビリーが手がけることになった。

この記念すべきライブの観客の中に、プロポーズを計画している男性がいるとの情報をスタッフが事前につかんでいたため、ビリーも一肌脱いでプロポーズを応援することになっていた。いよいよ運命の時間がやってきた。スポットライトを当てられた男性は、隣にいる恋人にプロポーズした。

すかさずビリーが声をかける。

「彼女と結婚するのか?」

男性は両手を高く上げ、満面の笑みを浮かべた。

「そうなんだな?」と念押しするビリー。会場は祝福の声援に包まれた。

「おめでとう! ちゃんと婚前契約書を作っておけよ」

今度はスタンドから大きな笑いとどよめきが押し寄せる。

「あれは急に思いついたんですよ。5万5000の大観衆がいるスタジアムで、このジョークを笑えなかったのは僕だけですよ」

それもそのはずで、このライブから1年も経たないうちにケイティとの離婚が発表されるのだった。

「元妻たちはみんな僕のことを嫌いになってない」

当時、親交のあったソングライター、カッサンドラ・クビンスキーにビリーが詞のコンセプトを提供した『No Hard Feeling』という曲があるのだが、そこに離婚の思いが描かれている。

君は家を手に入れ、現金も手に入れた
家具もガラクタも全部
犬まで君についていってしまった

 

でも一番つらいのは
自分の心を深く探っても
うらみつらみがまるでないこと
君に心から愛されていたことは確かだから
画像=『イノセントマン ビリージョエル100時間インタヴューズ』
4人目の妻、アレクシス・ロデリック

今、4人目の妻アレクシス・ロデリックと穏やかに暮らすビリーは、達観したかのように元妻たちを語る。

「今もお互いにいい友達ですよ。元妻たちがそろってすばらしいのは、みんな僕をいまだに嫌いになっていないことです。元妻たちとの交流が残っているんです。クリスティもそうだし、エリザベスともたまに会いますよ。彼女たちにとっていい友人でいられてうれしいですね」

ビリーは「女性が望む“元夫”の鏡」と、うれしくない評判が立つほどで、そこがまたビリーの魅力でもあるのだろう。

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