前文科相がこれまで一般市民にしてきたこと

これを受け、柴山氏は9月10日の会見で「高校生の政治談議を規制するつもりはない」と述べました。一方で教員が「安倍政権に投票しないように」とツイッターに書き込んだことは、教育基本法や公職選挙法に反するとの見解を示しています。

こうした一連のやりとりについて、朝日新聞は9月11日付の記事で、旧自治省選挙部長で弁護士の片木淳氏の「高3生のツイートは冷静だし、特定の選挙で特定の候補者の当選を目的とする選挙運動にあたるようなものでもない」というコメントを紹介しています。私も同感です。

実は、この柴山氏をめぐる騒ぎには前段があります。

今年6月、大学入学共通テストにおける英語民間試験の導入に反対する大学教授陣が8000人を超える署名を集め、衆参両院に請願書を提出しました。英語の民間試験導入には、「公平性・公正性」という観点から見過ごすことのできない欠陥があり、その犠牲になるのは高校生たちである、という思いからでした。しかしながら、その訴えは無視されました。

「サイレントマジョリティは賛成です」という排除の論理

柴山氏は8月19日、自身のツイッターで、「サイレントマジョリティは賛成です」と発言しました。その後の会見では、入試改革の軸である英語の4技能入試についてのツイートであると説明しています。つまり「サイレントマジョリティは賛成です」という発言は、「大学入試改革について批判的なことを口にするのは少数派。もの言わぬ大半の人たちは、みな賛成している」ということを意味するわけです。

端的に言えば、「批判の声など自分は聞く気はない。声を上げていない大多数は、賛成しているのだから」という論理に受け取ることができます。

そして8月24日、埼玉県知事選で応援演説をしていた同氏に対し、ひとりの大学生が、抗議の声を上げました。大学入学共通テストにおける英語民間試験導入等への反論です。英語民間試験の即時撤回や同氏の辞任などを求めるプラカードを掲げたところ、警察官によって排除されてしまいました。

抗議の方法をめぐっては、ネットなどで賛否両論がみられました。でも、僕は、若者の行動に真摯な思いを感じました。本当に彼は、この国の教育を憂い、是が非でもその思いを文科相に伝えたかったのでしょう。

ところが8月26日、柴山氏はツイッターで、「わめき散らす声は鮮明にその場にいた誰の耳にも届きました」などと応酬したのです。自らを苛烈に批判する言葉であったとしても、政治家が国民の声を「わめき散らす声」と表現するのはいかがなものでしょうか。

しかも文科相は、8月27日の会見で、「『柴山辞めろ』とかですね、『民間試験撤廃』とかですね、そういうことを大声で怒鳴る声がわーと響いてきたんです」と述べています。こうした言動や姿勢に共通することは何か。それはあからさまな「対話の拒否」です。