文政権による「司法」の恣意的運用だ

盧武鉉氏と文在寅氏の年齢は7つほど違う。だが、2人ともほぼ同郷で貧困の中で生まれ育ち、弁護士として民主化運動に力を注いで国会議員となり、大統領に当選している。

こうした歴史を振り返ると、韓国の大統領経験者は検察の捜査を受けて刑事被告人となるケースが多いことが分かる。検察の権限が強すぎるのか。それとも大統領の権力が強すぎるのか。

産経新聞の社説(主張、9月10日付)は「韓国の法相任命 『法の支配』の原則に還れ」との見出しを掲げ、こう訴える。

「韓国国民の多くが法相任命の強行に反発しており、来春に総選挙を控える文政権の運営にも多大な影響を与えそうだ」
「この混乱を招いたのは、文政権による『司法』の恣意しい的運用であり、その意味ではいわゆる『徴用工』問題の理不尽と同根である。文政権は『法の支配』の原則に還る必要がある」

三権分立を自らに有利に使っている

文政権の運営に強く影響すると、沙鴎一歩も思う。しかし「法の支配の原則に還れ」という主張はどうだろうか。問題は韓国という国家の三権(立法、司法、行政)の分立が機能していないところにある。

徴用工問題に絡んだ日本企業の資産差し押さえについて、文氏は三権分立を口実に、「政治は判決に口出しはしない」という趣旨の発言を繰り返していた。三権分立を自らに有利に使っているだけなのだ。

徴用工問題はすでに日韓の協定で解決された問題だ。本来、文政権は政治判断によって、日本企業ではなく韓国政府による“賠償”を決定できたはずである。日本政府もそれを求めていた。