殺せようのないものは殺せない

次に、「懲役13年」の最終章。

〈5.魔物(自分)[怪物]と闘う者は、その過程で自分自身も魔物[怪物]になることがないよう、気をつけねばならない。
深淵をのぞき込むとき、
その深淵もこちらを見つめているのである[だ]。〉

この部分は『FBI心理分析官』の前扉にある、ニーチェ『ツァラトゥストラかく語りき』を、ほぼそのまま写したもの。ニーチェの「怪物」を「魔物(自分)」に替えているだけだ。

もっと言えば、冒頭の一文も、映画『プレデター2』の日本語字幕とほぼ一致することが明らかになった。

〈いつの世も……、同じ事の繰り返しである。
止めようのないものはとめられぬし、
殺せようのないものは殺せない。
時にはそれが、自分の中に住んでいることもある……
「魔物」である。〉

少年Aのオリジナルは、「時にはそれが、自分の中に住んでいることもある……」という部分だけだ。

森下記者の探求心は尽きることがない。犯行声明文に添えられていた、あのナチスの鉤十字のような奇怪なマーク。これは、少年Aが繰り返し観たホラー映画『13日の金曜日』の、殺人鬼ジェイソンがつけている仮面であることも突き止めた。

「直観像素質者」だけをヒントに、ここまで掘り下げていく——私は舌を巻くしかなかった。

手記出版に思わぬ反発

少年Aの両親の手記を出版するにあたって、私たちは慎重に準備を重ねた。何より大切なのは、被害者遺族の理解を得ることだ。

森下記者は、亡くなった土師淳君と山下彩花ちゃんの遺族にも、ずっと接触を試みていた。本の見本ができると、少年Aの両親を伴って両家を訪れた。しかし、インターホンにも応答はない。やむなく玄関の前に本と菓子折りを置いて帰り、翌朝改めて訪問すると、置いたままになっている。それでも繰り返し足を運んだ。

印税の全額を賠償に充てるといっても、人の生命は金銭に代えられるものではない。

結局、遺族の承諾はもらえなかったが、消極的な黙認は得られたという感触はあった。三家族とも、印税を受け取ってくれることになったからだ。土師さんは、損害賠償を求める裁判の動機にもあったように、犯行状況ではなく、少年Aの精神構造や成育歴を知りたがっている。本の内容は、その気持ちにわずかでも応えられるのではないかと思えた。

ところが発売直前、予想もしないところからクレームが入る。ほかならぬ文藝春秋の営業局だ。局長がやってきて真顔で言う。

「大手書店チェーンのひとつが、こんな本は売らないと言っている。私も、文藝春秋がこういう本を出すのはどうかと思う。あれだけの事件を起こした犯人の親の、弁解みたいな内容ではいかがなものか」