両親の住居にあった盗聴器
——ご両親と家族のサポートは、最初から先生の役割と決まっていたのですか。
「二人の弟さんに教育を受けさせるために、両親ともども、どこかへ隠さなければいけませんでした。両親の担当は、最初は別の弁護士で、私がサポートしていた。しかし、『「少年A」この子を生んで……』の出版がきっかけで、彼が抜けてしまってね。あとはずっと私が担当しました」
——あの本をきっかけに抜けられたというのは、出版に反対して、ということですか。
「そう、彼は賛成していませんでした」
——ご両親の周辺には、さまざまな問題が起きましたね。
「当初は、殺到するマスコミ対策に追われました。ご両親が神戸家裁に出入りする際は、隠れていた場所から連れてきて、家裁から脱出させるまで、全部私たちでやりました。
その後、私たちが確保した両親の住居に、先回りして盗聴器が仕掛けられていたことを、警視庁の公安担当者から知らされました。私たちが必死に逃れさせた当初から、どうも組織的な尾行が行われていたようです。
ご両親の住居だけでなく、私の事務所や自宅まで盗聴されていました」
今に至るも謎だらけの行動
Aに面会するため、両親が東京・府中の関東医療少年院に向かうときのこと。その前日、羽柴さんは事務所の電話で、京都から新幹線に乗車する両親に、指定席の座席番号を伝えていた。
両親が席に着くと、見知らぬ男がスッと近づいてきて、囁くように言ったという。
「A君のご両親ですね。お話ししたいことがあります」
どこかの記者だと思い込んだ両親は、頑なに沈黙を守って事なきを得る。しかし、姿を隠していた両親が、何駅を何時に出る新幹線の、何号車の何番に席を取っているかなど、マスコミ各社にわかるはずがない。
——この一件でも、組織的な盗聴や尾行が行われていることが明らかになりました。
「あれは印象的な出来事でしたね。A君のご両親は私の事務所で、亡くなった山下彩花さんのご両親に直接お会いして謝罪するんですが、その様子もすべて録音されていたんです。
鑑定医の研究室などから、Aの鑑定書や検面調書(注・検察官による調書)が盗まれるという事件もあった。それが大手の新聞や雑誌に流されたという話もありましたね。その狙いが何だったのか、今に至るも謎なんです」