出版に反対した土師家と山下家
——私たちが神戸のホテルで初めてご両親にお会いしたとき、本を出版してもいいというお気持ちだったのですか。それとも、とにかく会うだけは会おうかと。
「お会いしておいて『いや、駄目です』とは、なかなかならないでしょう。私自身と両親の方向性としてはある程度、お願いしようと思っていました。私としては、被害賠償を実現するためにはどうしたらいいのかと、いろいろな学者にも相談した結果です」
——たくさんのメディアから依頼があったでしょうが、その中から文藝春秋を選んでいただいたのは、どういう理由だったのですか。森下記者のしつこさですか(笑)。
「しつこさは確かにあったでしょうけど(笑)、森下とはひとつの信頼関係というか、書かないと言った約束は守るとか、こちらを騙すことはないと思ったからでしょうか。それと、内外の少年事件をいろいろ調べて、資料をたくさんくれたことですね。今でも取ってありますけど、その中に賠償方法に関する貴重な資料があったんです。
日本では、さまざまな事件で被害弁償がきちんとなされていない実態がありますが、A君のご両親は、決められた賠償額を何としてもお支払いする気持ちでしたから」
——土師家と山下家は、出版に反対でしたね。
「当初は反対です。強烈な反対でした。とんでもないという反応……」
1億9226万円の支払い義務
——見本の本ができたとき、森下がご両親と一緒に両家へ届けに伺ったんですが、会えませんでした。
「そんなことがありましたか。しかし、あのころの反応は、そんなに厳しいものではなかったと思いますよ。この本の印税のお支払い以外に賠償の方法は考えられない、とお伝えしていましたから、事実上お認めになっていたと思います。三家族とも、現在も受け取ってくださいますから」
——印税すなわち賠償金は、かなりの額になりましたね。
「手元にある1999(平成11)年から2007(平成19)年までの印税だけで、8120万円。そろそろ1億円近くになると思います。
土師さんへの賠償が1億420万円で、山下さんには8000万円。もう一つの示談金も入れますと、1億9226万円の支払い義務があるんですが、平成19年3月時点で、土師さんには4000万円、山下さんには3300万円お支払いすることができました。
A君が毎月送ってくるお金と、ご両親からの分もありますが、原資が一番大きいのは本の印税です。やはり本を出す以外になかったし、出すならちゃんとした本でないといけなかった。そういう意味では、出版するという判断は間違っていなかったと思っています」