少年Aからのお金と手紙

——A君もお金を送ってきていたんですね。

「そうです。ちゃんと働いて稼いだお金の中から、なんとか工面して送ってきました。もちろん金額は微々たるもので、5000円の月もあれば1万円の月もありました。

土師さんはいまだに会っていただけませんが、山下さんには、彼が何をしているか、毎月どこからお金を送ってくるのかという情報も、可能な範囲で開示していました。手紙と一緒にお金を送ってくれば、消印でわかりますから」

手紙と一緒に——少年Aは、退院から2年たった2007(平成19)年以降、反省の気持ちを記した手紙を毎年、被害者遺族に送り続けてきた。淳君と彩花さんの命日の直前に書かれる手紙は、羽柴さんを経由して、土師さんと山下さんの遺族に手渡されたのだ。

ただし、未開封のまま届けるから、羽柴さんにも内容はわからない。読んだ遺族は、具体的な中身には触れずに、感想だけを述べる。その感想を聞いて、羽柴さんは遺族の感情の変化を推し測っていたという。

——手紙の内容は少しずつ良くなっていたようですね。

「最初のうちは形ばかりの、心のこもっていない反省文で、ご遺族の評価は低かったんです。しかし3年目くらいから、手紙の内容がずいぶん良くなった、とおっしゃっていただけるようになったんです。

とくに彩花さんの母親の山下京子さんに、『今までの手紙は無機質な感じがしたが、今回は生身の人間が書いたように感じた』『罪に向き合い償おうとする気持ちが年々強くなっていると感じた』と評価していただいた。それは嬉しかったですよ」

裏切りの『絶歌』

——ところが、『絶歌』の出版を事前に知らされなかったため、遺族は激怒した。

「いや、もう、凄まじい怒りようでした。事前に何の連絡もなく、突然あの本が出てしまったわけですから、遺族を傷つける卑劣な行為に失望したとか、裏切りだとか、これまでの反省の手紙は何だったのかと……。本当に何も知らなかったのか、なぜ止められなかったと、私も厳しく問い詰められました。山下さんも土師さんも、彼の手紙が届くたびに感想の談話を発表してきたわけですから、ものの見事に騙されたとお感じになったんです。

実は『絶歌』事件が起きるまで、山下さんとA君の両親は年に一度、彩花さんの命日のころに、この弁護士事務所で面会する関係になっていたんです。そこに至るまでには、ずいぶん長いことかかりましたし、彼の状態も良くなっているとばかり思っていたので、本当に残念というしかない。

出しようによっては、あんなことにはならなかっただろうし、中身だって、もう少し書きようがあったんじゃないか……。やはり出版社の責任ですよ。両家とも、『絶歌』の印税は拒否しているけれども、両親の本については今でも受け取ってもらっていますから。

本当に残念です。残念至極です。あのあと、山下京子さんが亡くなられたのも大変なショックでした」