なぜ、たった1年の塾通いで難関国立中に受かったのか
Aさんの中学受験をする前に母親はひとつの教訓を得ていた。
それは次男の塾選びに“失敗”したことによるものだ。次男が小5の頃、都内の公立中高一貫校に興味を持った夫が、その受験に特化した塾を選んできたのだ。次男はその塾で上位の成績をキープしていたが、1年後に受けた四谷大塚の「志望校判定テスト」の結果は、偏差値38……。
公立中高一貫校の本番の試験は「適性検査型テスト」といわれ、国立・私立中学での出題傾向とは大きく異なる。適性型テストに特化したカリキュラムでは、国立中や私立中の試験に対応できる4教科の基礎力がつけにくい。
そう判断した母親は、すぐさま国立中の試験対策をするため転塾させた。その年にちょうど国立中に合格した長男と入れ替わりで、次男を5年生の2月から早稲田アカデミーに通わせ始めたのだ。
通常は3年間かけて受験対策するところを1年間で国立中に合格させるべく、最初から全開で勉強に向かわせた。通常なら6年生の夏休みに手を付ける教材をなんと2月からスタートさせ、夏休みまでに2回やりきった。当時の目標は「4月までに偏差値50」だったそうだ。
「偏差値50は目標として低いのではないかと思われるかもしれません。でも、中学受験はもともと成績のいい層が挑むものです。中学受験における偏差値50は同学年の上位集団の真ん中くらい。高校受験になれば、その層は早慶が狙えるレベルまで成長すると考えていました」
転塾のビハインドを短時間で取り戻そう必死だった両親だが、次男とは勉強方針の違いで度々ぶつかったという。本来は理論や知識を身につけてから、問題に取り組むのが勉強の王道だ。しかし、1年で仕上げるためにはそれでは間に合わない。母親は、異例な方法と承知の上で、問題を解きながら、理論や知識を頭にたたき込む方法を取ったのだ。
「全教科、受験で出やすい問題パターンってあるんです。理論や知識を身につけてから問題を解くより、解きながら問題ごと覚え込んでしまうほうが最短で点数に結びつくのではないかと思いました」
几帳面で一歩一歩進みたいタイプの次男は、そのやり方を嫌がることも多かった。しかし、母親は粘り強くその効果を説明しながら勉強に向かわせ、結果、1年で偏差値が20以上アップ。第一志望に合格させた。
娘に冷静に檄「また間違えている。いいかげんにして!」
こうして兄2人の受験から得た知見を母親は、娘Aさんの受験にフル活用した。まず、最小限の費用で最大の効果を上げるため、塾には小4から受験の要の科目である算数だけ通わせ、長期休暇時におこなわれる講習会のみ4教科を選択。算数以外の3教科は通常は四谷大塚の教材「予習シリーズ」を買い与え、自学自習させた。4教科フルで通ったのは6年生の1年間だけ、というこれまた異例な手法を選択したのだ。
ただ、誤算はあった。「合格は夏休みで決まる」との考えから、小6の夏休みは1日に各教科30~40ページもの課題をこなすことにしたが、予定通りには行かず、徐々に遅れが出てきた。
しかし、そんなときにスケジュールのお尻をずらしてはダメだという両親のポリシーの下、「お尻はそのままに、中身を適度に抜いて調整する」というプランを立てた。たとえば、1冊の問題集を2度こなす場合、2度目は、基礎問題は省いて応用問題だけ解かせる、といった具合に。
「何を抜くかはその教科が得意か不得意かなどによっても変わりますが、受験に実際出るのは応用問題レベルなので、基礎問題を省くことが多かったです」
母親は自宅で勉強するAさんの机に常時張り付くわけではない。食事づくり、掃除・洗濯、義父の介護などやらなければならないことは山ほどあった。
時間がない中、母親はAさんのノートにしばしば言葉を残した。実際にそのノートを見ると、「また間違えている。いいかげんにして!!!」といった母親の厳しい言葉が並んでいる。一度目のミスの場合は優しい口調で注意するが、再び同じミスで間違ったときなどは強い言葉で注意するようにしたという。
母親は、それができるのは「親だからこそ」と話す。塾の先生は「ミスをするな」とアドバイスはしてくれるが、実際にミスをしたときに本人の自覚が芽生えるまで注意をしてくれるわけではない。1つのケアレスミスで合否が決まるのが中学受験。細心の注意力を自ら発揮するよう子供に促せるのは親しかできないという気持ちが強かったのだ。