メディアへの「圧力」が事実だったことが公になった
事務所側はコメントを発表して、公取委から「調査を受けた」ことを認めた。これまで陰でこそこそ語られてきた、ジャニーズ事務所のテレビ局などへの圧力が、事実だったことが公になったのである。
だが、NHKと在京民放キー5局は、事務所からの圧力はなかったと、いまだにジャニーズ側に忖度して、圧力があったことを認めない。
おそらく彼らは、「あの3人は、うちの嵐なんかと一緒に出さないで」という事務所側の要求を、圧力とは思わないほど神経が麻痺しているのだろう。
同じことは『文春』を除くほとんどの週刊誌にもいえると思う。出版社にはアイドルを載せたい雑誌がいくつもある。
私がいた講談社には、子会社に「キングレコード」があり、AKB48のCDでは相当儲けたはずだ。今も続いているのかもしれないが、『フライデー』には一時、「AKB48のスキャンダルはやるな」というお達しが出たとも伝え聞いている。
芸能に「ジャーナリズム」を取り戻すために必要なこと
古い話で恐縮だが、私が実際に体験したことを書かせてもらいたい。
田原俊彦、野村義男、近藤真彦の「たのきんトリオ」がブームになったのは1979年からである。私は、その頃、『週刊現代』編集部にいた。
1981年4月30日号の『現代』に、私が担当した「アイドル育成で評判の喜多川姉弟の異能」という特集記事を掲載した。異能というのは、ジャニー喜多川の性的嗜好を指している。『文春』が連載をやる18年も前のことである。
記事が出て、講談社の社内は大騒ぎになった。ジャニーズ事務所が「今後、講談社には、一切うちのタレントを出さない」と通告してきたのである。
しばらくして、私に一言もなく、会社は私の『婦人倶楽部』への異動を発表した。講談社は、私を『週刊現代』から外すことで、ジャニーズ側と手打ちをしたのである。怒り、呆れ、辞めようと思ったが、私には勇気もカネもなかったから、思いとどまった。
ジャニーズ側は、私の件で、出版社を黙らせるにはこの手に限ると考えたのだと思う。講談社は社員を蔑ろにして、目の前の儲けを優先したのである。
これも大昔の話になるが、女優の大原麗子と歌手の森進一が「不倫」しているという記事を作ったことがあった。大原は当時、俳優の渡瀬恒彦と結婚していた。
大原から名誉棄損で訴えられた。その後、彼女は病気になり、他のメディアは、『現代』の報道で大原が病に倒れたと報じた。会社から、大原に謝りに行けといわれた。
「誤報ではない」と抵抗したが、編集総務にいた先輩がこういった。
「芸能なんかで争ってもつまらないじゃないか。政治家のスキャンダルなら堂々と闘ってやるけどな」
大原の家に行って頭を下げた。その後しばらくして、大原は離婚して森進一と再婚した。
講談社は、その後も相変わらず、芸能界にも政治家にも弱腰の出版社であり続けている。芸能人や芸能プロと闘えない出版社が、政治家を含めた権力と闘えるわけはないのである。
同じようなことが、他の出版社、テレビ局、スポーツ紙でも起きているはずだ。ジャニー喜多川という芸能界の巨木が倒れた今、それぞれのメディアの現場が、芸能にジャーナリズムを取り戻すにはどうしたらいいのかを、一度立ち止まって考える時だと、私は思う。
(文中敬称略)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任する。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『編集者の教室』(徳間書店)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)などがある。