安倍首相には参院選を有利に進める思惑があった

もちろん安倍首相にも思惑がある。異例の控訴断念は、7月4日に公示された参院選挙(21日、投開票)を有利に進めようと考えたからだろう。

かつて小泉純一郎首相(当時)が、ハンセン病をめぐる訴訟で控訴を断念して、元患者に謝罪したことがあった。

2001年5月、熊本地裁が隔離政策を違憲とみなして国家賠償責任を認めた判決を言い渡した。国の敗訴だった。これに対し、小泉氏は政府内の反対を押し切って異例の控訴断念を決断した。これによって84%という過去最高の内閣支持率を記録した。まさに"小泉劇場"だった。

このときの官房副長官が現在の安倍首相だ。安倍首相は小泉氏のみごとな「政治判断」を目の前で見ていたのである。

しかも今回は参院選の最中だ。与党内からは「野党が控訴断念を求めている。それを控訴すれば参院選の逆風になりかねない」と心配する声もあった。

さらに言えば、控訴見送りとともに、控訴期限の7月12日に今回の判決の問題点を指摘する「政府声明」を出し、「首相談話」を発表した。これらによって安倍首相は判決の問題点を明確に示し、他の国家賠償訴訟への影響を少なく抑えたのだ。これも小泉氏から学んだ手法だった。

安倍首相という政治家は、国民が考えている以上に勝負師なのかもしれない。断っておくが、決して褒めているわけではない。

厚労省や法務省、首相官邸は「控訴」を主張していた

いつものように新聞の社説を読んでみたい。まずは問題の朝日新聞の社説(7月10日付)。

「判決は、時効の考え方などで法理論や判例に照らして踏み込んだ内容を含んでおり、政府内には『控訴すべきだ』との意見も強かった。しかし首相は判決を受け入れ、『筆舌に尽くしがたい経験をされたご家族のご苦労をこれ以上、長引かせるわけにはいかない』と語った」

実際、厚生労働省や法務省、首相官邸では「控訴」を主張していた。最後は安倍首相の「政治判断」にかかっていた。ただ、だからといって朝日の誤報は許されない。なぜ誤ったかについて深く検証し、紙面を割いて懇切丁寧に説明してほしい。これはひとりの読者としての願いである。

「隔離政策によって家庭が壊され、家族は差別や偏見、その恐怖にさらされてきた。救済に道を開く、重い判断である」

「重い判断」。これが安倍首相の控訴断念に対する朝日社説の見解である。安倍首相と安倍政権が嫌いな朝日社説にしては、いつもの皮肉もなく、正論だ。

ハンセン病元患者の隔離政策に関し、その家族への損害賠償を国に命じた6月28日の熊本地裁の判決内容も重い。