ルーティーンの重要さが増す場面とは

文字通り破竹の進撃だったのだが、なおみはそこまで登りつめることには慣れていなかった。そして、人は慣れないことに挑むとき、メンタルと肉体、両面でとてつもないエネルギーを費やすことになる。

ルーティーンの重要さが増すのは、まさしくそういうときなのである。

われわれチームの面々は、決勝を迎えて、それに先立つ6試合のときとまったく同じ準備をすることにしていた。決勝の当日も、特に変わったことをするつもりはなかったし、その点はなおみも同じだった。

世界一をたぐり寄せたシンプルな「繰り返し」

では、なおみのルーティーンとはどんなものだったのか?

まず、30分のウォームアップ。それはコートに出る2時間半前にジムで開始する。体の血行をよくするためだ。それがすむと、サイクリングマシーンを漕ぐ。私はそのかたわらで、黙々と彼女のラケットに新しいグリップをとりつけている。

二人とも多くを語らず、なおみは一人考えにふけっている。いつも静かに、節度を保って事を進めるのがなおみの流儀だった。決勝の前、セリーナと顔を合わせることはなかった。セリーナとは別のジムを使っていたので、2週間を通して、姿を見かけることはまずなかった。

ジムでのウォームアップが終わると、練習コートに移って15分から30分、ボールを打ち合う。決勝の当日、私はできるだけ強いボールを打ち返した。もちろん、セリーナのパワフルな打球を想定してのことである。

決勝前日は効果的な練習ができなかった

実は決勝の前日の金曜日は、あまり効果的な練習ができなかった。たまたま雨が降っていたため、屋内で練習するか、それとも雨が上がるのを待って屋外で練習するか、判断に迷ったせいだ。結局、屋内で練習することにしたのだが、それはあまり効果的とは言えなかった。全米オープンは屋外のトーナメントだから、屋内コートでの練習はさほど役立たないのだ。まずボールの飛び方がちがう。ラケットで打ったときの音もちがう。屋内コートでのなおみのプレイぶりは物足りなかったが、そんな私の懸念を打ち消すようになおみは言った。

「大丈夫、調子はいいから」

それでも懸念は払拭できなかったのだが、そういうときはプレイヤーを信頼することにしている。なおみが大丈夫と言うなら、大丈夫なのだ。事実、なおみはそれまで積み重ねた練習に満足しているようだったし、その自信を見事に翌日まで持ち越してみせた。嬉しいことに、決勝当日の練習は、とてもスムーズに進んだのである。