「天皇親政の時代」の素晴らしさを示す定番エピソード

図に示した通り、ネット右翼が興味関心を持つ日本史の時代区分は、簡潔に言えば、7世紀以前の「神話・神代の時代」と、1940年代の「大東亜戦争期」、そして「戦後混乱期」の3つしかない。

1)神話・神代の時代「古事記・日本書紀信仰」

仁徳天皇(在313年~399年)が、「民草のかまど(調理場)から煙が上がっているかいないかを俯瞰したことで、民草の経済活動を忖度し、煙が上がっていないので人民の困窮を嘆く。後年、煙が上がっているのを見て人民の息災を喜んだ」という日本書紀の記述(いわゆる「民のかまど」)である。

ネット右翼が「神代の天皇の慈悲深さ」を示す逸話として、天皇親政の時代がいかに素晴らしかったかを吹聴するのに必ずと言っていいほど用いるエピソードであるが、実際にこのような事実があったか否かは歴史学の検証に耐えられていない。

また、肝心の仁徳天皇が埋葬されているとされる仁徳天皇陵(大阪府堺市)も、宮内庁が墳墓の内部調査を拒否しているので、必ずしも仁徳天皇が埋葬者とは比定されていないとして、仁徳天皇陵ではなく「大山古墳」(だいせんこふん)とか「大山陵」(だいせんりょう)と呼称するのが一般的であるが、ネット右翼はこの不都合な事実については一切黙殺して、天皇親政の時代のすばらしさを、神話の記述をそのまま史実と思い込むことによって誤解し、史実を捻じ曲げている。

事実かわからない神話を史実かのように記述する

そもそも、この時代の日本の王権の形成過程については、考古学的研究が進むにつれ、既存の様々な説が淘汰され、絞り込まれているわけである。『日本国紀』は、こういった本州・朝鮮半島・環日本海にまたがる複雑な王権の形成過程を殆ど記述していないばかりか、案の定、この「民のかまど」という歴史的事実かどうか定かではない神話を、さも史実であるかのように、ご丁寧にも3頁に亘って詳細に記述している。

そしてこともあろうに百田は、「『邪馬台国畿内説』をとらない」(P.19)とし、「大和朝廷は九州から畿内に移り住んだ一族が作ったのではないか」(同)として、「神武東征」を史実のごとく記述している。ああ頭痛がする。

古代史学会では様々な発掘事実から、いわゆる邪馬台国が何らかの形成過程を経てやがて畿内に強大な王権を築いていったことがほぼ固まりつつある(箸墓古墳=おそらく卑弥呼の墓と比定)。

百田がこの分野の知見をネット右翼が好む「民のかまど」という真偽不明な「君民一体の美談」として、あたかも史実であるかのように冗長に描くあたりは、この分野においてまったくの素人なのが明らかにわかる記述の象徴と言える。