ネット右翼が大好きな「遊就館思想」
2)「大東亜戦争期」にたいする肯定的総括
1941年12月8日の真珠湾奇襲を持って始まる「大東亜戦争」は、日本のアジア侵略ではなく、アメリカ等(ABCD包囲網)の圧迫を受けて、日本がやむなく実行した自存自衛の戦争であるというのが、ネット右翼全般にみられる「常識」である。
しかし実際の「大東亜戦争」の大義である欧米植民地からのアジア解放というのは名目上の大義に過ぎず、現実にはアメリカとの持久戦のため、東南アジア一帯から算出される、石油、ゴム、ボーキサイト、希少金属、砂糖、米、穀物類などの収奪が目的であった。
バリクパパン、パレンバン等の良質の油田を保有する蘭印(オランダ領インドネシア)が大東亜会議(1943年)以降も、大日本帝国の直轄地として独立を許されなかったことが、「大東亜戦争」の真の目的がアジア解放という美辞麗句ではなかったことの証左である。
ネット右翼はこの、「大東亜戦争はアジア解放のための聖戦であった」という「遊就館思想」が大好きである。そして当時タイ王国等を除いて欧米列強の植民地であった東アジアから、白人を追放したとする。それなのに、日中戦争では同じアジア人国家である中華民国(国民党)を侵略し、その臨時首都・重慶を無差別に盲爆したことから、アジア各地の独立運動家らから「日本による、同じアジア人同胞に対する侵略行為」として非難の声明が出されていたという不都合な真実については、「日本の中国進出は、コミンテルンの陰謀であって日本は決して中国を侵略したわけではない」という陰謀史観に逃げる。
この陰謀史観がいかに出鱈目であるかは実証史学の権威である秦郁彦氏によってつまびらかにされていること(参照:『陰謀史観』新潮社)であるが、ネット右翼は秦の本を読まないので、いつまでたってもありもしない「コミンテルン謀略説」で、日中戦争における「同じアジア人国家への侵略」を侵略ではない、として頑なに否定し続けるのである。
「日本はアジアの人びとと戦争はしていない」とドヤ顔で断言
くだんの『日本国紀』もこのネット右翼の「大東亜戦争」前夜の史観を完全にトレースし、「暗躍するコミンテルン」(P.365~366)として記述している。「日中戦争の原因はコミンテルンにあった」とは、歴史学科のレポートに書けば即座にD(落第)を喰らうレベルのものだ。
それほど、コミンテルン幻想・コミンテルントンデモ論はネット右翼や保守・右派界隈に地下茎のごとく広がっており、それは『日本国紀』も例外ではないのだ。ちなみにコミンテルン(第三インターナショナル)は第二次大戦の最中、1943年に解散した。いったい彼らはなにと戦っているのだろうか?
続けて百田は「大東亜戦争」において「日本はアジアの人々と戦争はしていない」(P.391)、とドヤ顔で断言している。だが、すでに1940年代の独立をアメリカから約束されていたフィリピンコモンウェルス(フィリピン独立準備政府)は当時、フィリピン国軍を有し、アメリカ軍と共同して侵攻する日本軍と戦い、コレヒドール要塞陥落まで日本軍に対し徹底的に抵抗したのだから、「日本がアジアの人々と戦っていない」という記述自体がまったくの誤りである。さらに、1944年のインパール作戦失敗以降、ビルマの対英戦線において日本軍劣勢を感じ取ったアウンサン将軍は、抗日戦線を組織して日本軍と戦う道を採った。
このような基礎的な歴史事実は、前述した「神話・神代の時代の天皇親政の慈悲深さ」と同じくして、ネット右翼が一切黙殺する歴史事実であり、そしてやはり『日本国紀』でも一切黙殺されている歴史的事実である。この程度の水準にとどまる近代史の歴史認識は、歴史学科以外の大学1年生程度の範疇を超えないものであり、場合によっては高校生程度である。この史実に基づかない殴り書きが「日本史の通史」とは、笑わせる。