100年安心は「年金額が変わらない」という意味ではない

麻生氏も菅氏もよくそこまでうそが言えると、沙鴎一歩は感心する。

支える現役世代が減り、支えられる引退組がますます増える少子高齢化現象が原因でこの先、年金財政が苦しくなることは目に見えている。それを少しでも食い止めようと、安倍政権は年金支給の繰り下げを国民に呼びかけ、70歳支給という繰り下げの選択肢が出てきたのである。

小泉政権下の15年前の2004年、「安心プラン」と銘打った年金改革によって、厚生労働省は現役世代の所得に対する年金支給額の比率を毎年、切り下げるシステムを作り上げ、それを着実に実行している。

年金が「100年安心の年金」というのも、年金の制度が長く続けられるという「安心」であって、もらえる年金額が変わらずに100年続くという「安心」ではない。

そう説明すればいいのに、なぜか「年金こそが老後の生活設計の柱」という言葉が出てきてしまう。国民が年金をどう考えているかを、理解していない証拠だ。

金融庁の報告書には「一部、目を通しただけ」

麻生氏は10日の参院決算委員会で立憲民主党の蓮舫参院幹事長に「報告書を読んだのか」と質問され、こんなすっとんきょうな答弁をしている。

「冒頭部分に一部、目を通しただけで、全体を読んでいるわけではない」

麻生氏はまるで庶民の気持ちを理解していない。趣味で好きな漫画本を読む時間があるのになぜ、仕事上の重要な報告書に目を通す時間がないのか。しかも報告書は自分が諮問したその答えのではないのか。

参院決算委員会終了後、蓮舫氏は記者団のインタビューに答えて「5分で読める報告書を読んでいなかったことに驚いた。報告書のどこにも『豊かな生活の額だ』とは書いていない。読んでいない人がめちゃくちゃなことを言っている。生活が苦しく、非正規雇用で頑張っている人たちに『お金をためろ』と上から目線で言うことができるのか」と強く反発する映像がテレビのニュース番組で流れたが、まさに彼女の指摘の通りだ。

さらに驚いたことに、麻生氏は11日、記者会見で「正式な報告書としては受け取らない」と述べた。審議会の報告書を担当の大臣が受け取らないというのは、聞いたことがない。異例である。これはどういう意味なのか。