曹操とは、良くも悪くも他人が真似の出来ない行動によって、天下を握りかけ、そしてとり逃した人物だ。
現代の会社で例えてみると、人並み外れた業績もあげてきたが、それを帳消しにしかねない欠点もさらして、社長になりきれなかった専務取締役のような感じかもしれない。
曹操のプラス面とマイナス面、それぞれを見ていこう。
まずプラス面。『三国志』の時代、表舞台で活躍した英雄たちには1つの共通点がある。それは皆、後漢王朝末期におこった黄巾(こうきん)の乱の鎮圧に力を振るった人物やその子孫たち、ということだ。曹操、袁紹、孫権、劉備……すべて、そうだ。
ところがこの戦いのなかで、曹操だけが1人異彩を放っていた。
それは、彼だけが黄巾賊を味方につけてしまったことなのだ。
192年、かれは青州(いまの山東半島)にいた黄巾の大規模な残党と戦い、苦戦に苦戦を重ねて和議を結んだ。その中身というのが、黄巾側は降伏して身の安全を確保するかわりに、黄巾軍30余万の軍隊から選ばれた精鋭が丸々、曹操の配下に入るというものだった。
曹操が戦略の礎とし、自ら注釈も施した『孫子』には、こんな1節がある。
・必ず全きを以って天下に争う(相手を傷めつけず、無傷のまま味方にひきいれて、天下に覇をとなえる)謀攻篇
当時、主要な英雄たちの多くは『孫子』を愛読していたが、曹操だけがこの理論をきちんと現実に活かしてみせたのだ。
敵と見れば叩き潰すことしか考えない他の武将たちに比べ、敵だったものを味方につけた曹操は、大きく勢力を拡大することに成功する。
・魏武の強、これより始まる(曹操の強さは、ここから始まったのだ)
清代の学者・何●(かしゃく)の言葉だが、確かにこの軍事力こそ、曹操覇業の原点だった。
一方、これとほぼ同じ時期、曹操は自らの覇業を逆に掘り崩す振る舞いにも、手を染めている。