長谷川平蔵が火付盗賊改(ひつけとうぞくあらため)の職に就いていたとき、幕府の首席老中は松平定信だった。その定信が無宿人収容の必要性から「無宿収容施設開設提案」を幕府内で募り、平蔵が企画案を提出した。

そのとき定信は、自叙伝『宇下人言(うげのひとこと)』で「ここによつて志ある人に尋ねしに、盗賊改をつとめし長谷川何(なに)がしこころみんといふ」と書いている。

注目したいのは「長谷川何がし」。

定信は、平蔵の企画案を読んでいるのだ。「長谷川平蔵」の名を知らないはずがない。

なぜ「何がし」なのか。

それだけではない。

定信は『宇下人言』のなかで、こんな内容のことを書いている。

「いずれにせよ長谷川の功績というわけだが、この人、功利をむさぼる山師(やまし)という面もあって、世間の評判も良くない」

平蔵の企画案は認めていても、人間としての平蔵は信用していなかったというわけだ。

「功利をむさぼる山師」とはどういうことなのか。「山師」とは「山の立木の売買、鉱山の採掘事業などを経営する人」(『広辞苑〈第四版〉』)という意味のほかに、「他人をあざむいて利得をはかる人。詐欺師」(同)という意味もある。

平蔵は、詐欺師だったということか。

さらに『宇下人言』には――。

「そんなことは知っているが、それほどの人でなければ、この創業はできないだろうと、老中間でも話し合い、まずはやってみましょう、ということになった」

企画案は認める。「しょうがない」というかんじなのだ。

じつは平蔵は「才がある」ゆえに、他人に誤解を与えるところがあった。