心情的に家族に寄り添いたい。しかし
救命救急センター――通称「ER」はテレビドラマ、コミックなどの舞台にも取り上げられる、病院の“花形”部門でもある。しかし、とても憧れだけではやっていけるものではないです、と森は強調する。
「目の前で重症な患者さん、家族と直面します。運ばれてくるのはみな重度の事故。それが突然であるほど、衝撃は大きい。当然、医師も一刻を争うわけですから、殺気立っている。医師に怒鳴られながら、瞬時に症状を把握して判断、家族のサポートもしなければならない。希望して救命救急センターに来ても、現実と理想のギャップで働けなくなった、という人もいるほどです」
救急車、ドクターカー、ドクターヘリにより救命救急センターに運ばれてくる患者は実に幅広い。90歳を超える高齢者から、0歳児まで――。
搬送された際、付き添った家族の精神的な動揺が特に大きいのは乳児、幼児の場合である。心情的に家族に寄り添いたい。しかし、余計な言葉を口にすることはできない。
「心肺が停まってしまった赤ちゃん、交通事故に遭ってしまった子ども。当然ながら(安心させるために)助かりますとは言えない。ただ、私たちが言えるのは“一生懸命看護させていただきます”の言葉だけなんです」
東日本大震災直後という「戦場」の経験
森にとって忘れられない現場がある。それは今から8年前のことだ。
2011年3月11日、14時46分に宮城県牡鹿半島の東南東沖130キロを震源とする東北地方太平洋沖地震が発生した。
東日本大震災である。
地震の規模はマグニチュード9.0、日本周辺における観測史上最大の地震だった。
この日、森は非番だった。DMAT(ディーマット)の有資格者である森の携帯電話に、DMAT本部から鳥取県庁の担当部署を通じて待機要請のメールが入った。
DMATとは、災害派遣医療チーム(Disaster Medical Assistance Team)の頭文字である。大規模災害や多数の傷病者が発生した現場で、48時間以内の超急性期に活動できる専門的な訓練を受けたチームを指す。
15時過ぎ、とりだい病院に集まったDMATのメンバーたちは役割分担を決めている。森は現場に向かう公用車に積む、資機材の確認を任されることになった。17時40分に先発チームが病院を出発。森は20時40分出発の後続チームに加わることになった。
チーム入りは自ら志願したのかと森に問うと、当たり前のことを聞くのだという風な怪訝な顔になった。
「みんな現場に行って、力になりたいんです。そのために資格を取ったり、勉強したりしている。誰を出すかというのは師長の判断です。私の場合、その日の夜勤担当ではなかった。それもあって、私が指名されたんです」