浄の部分を担うのがノロ、不浄に関わるのがユタ

沖縄県民のユタとの関わりについて、興味深い調査結果がある。地元紙琉球新報が2011年に実施した「沖縄県民意識調査」だ。

そこでは「あなたはユタへ悩みごとを相談しますか」という問いに対して、「よく相談する」「たまに相談する」の割合が16.9%となっている。「あまり相談しない(≒過去にユタに相談したことがある)」(18.3%)を含めれば35.2%に上る。

ユタに相談したとする比率は男性より女性のほうが10ポイントほど高く、また世代では40、50代の比率が高かった。

沖縄にある世界遺産・斎場御嶽ではかつてノロが祈りを捧げた(撮影=鵜飼秀徳)

さらに「沖縄の伝統的な祖先崇拝についてどう思いますか」の問いには、県民の92.4%が「とても大切だ」「まあ大切だ」としている。この調査からも沖縄では、民間信仰がいかに市民の生活に根付いているかが読み取れる。

奄美や沖縄における宗教的職能者はユタの他にも、ノロ(祝女)がいる。ノロの多くは世襲によって継承されてきた神職(女性祭司)であり、ムラの祭祀を司ってきた存在だ。ノロは五穀豊穣やムラの安全・安寧を祈る存在である。

ノロはユタのように、個人クライアントをつけて商売をすることはないが、神霊と交流する点では土着的な宗教的職能者と言える。

両者の住み分けとして浄(神の領域)の部分を担うのがノロで、不浄(死の領域)に関わるのがユタとされている。しかし地域差があったり、祭司がユタを兼ねる場合もあったりして、厳密に両者を定義するのは難しい。

土着的な宗教習俗は“文化の集大成”

沖縄のノロの場合、明治初期の廃藩置県を境にした琉球王国の解体によってノロ制度そのものが消滅。一部のムラではそれでも女性世襲を守り、ノロをかろうじて存続させているところもあるが、現在に至っては高齢化が進み「絶滅危惧」にある。

奄美の場合、ノロは完全に絶え、ユタも少子高齢化、人口減少とともに衰退の一途をたどっている。前編で紹介した土葬・洗骨文化の喪失と同様、近い将来、奄美における民間のシャーマンが完全消滅してしまう可能性がある。

「それはそれで、日常生活にはいっこうに支障ない」という人もいるかもしれない。

しかし、祖先崇拝、見えざる世界への畏敬など、可視化、数値化できない価値こそ、これまで日本人が大切にしてきたアイデンティティ、つまり「文化」ではないか。とくに伝統的な葬送、土着的な宗教習俗は“文化の集大成”といえる。その麗しき葬送文化を末長く受け継いでいくことが、こんにちの成熟社会に求められていることだと思う。

(写真=iStock.com)
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