天皇の葬送法である殯(もがり)とはどんなものか

沖縄の風葬は、骨壷にも反映される。沖縄で焼き物店を訪ねると、とても大きな骨壷が置かれていることに気付く。火葬した骨の場合、骨はボロボロになるので骨壷は小さくて済む。たとえば関西における骨壷は5寸(高さ約16cm)だ。しかし、風葬では骨格の原形が保たれる。全身骨格をそのまま収納することになるので、大腿骨が縦に入る大きさの骨壷が必要になってくるためだ。

なぜこのような風習が近年まで存在したのか。

そこにあるのは、死に対するケガレ(不浄)思想である。洗骨する前の死体(死)はケガレであり、忌避されるべき対象なのだ。

ケガレの概念は『古事記』にも登場する。その伝承によれば、死体はケガレであり、そのままでは荒ぶる魂になってしまう。そのため禊(みそぎ)によってケガレを落とし、清浄なカミにしなければいけない。

アマテラスオオミカミを“祖先”とする天皇(あるいは貴族)の葬送法である殯(もがり)にも、ケガレ思想を見ることができる。殯とは、本葬を執り行うまでの期間、死者の住まい(殯宮)を建て、遺体の腐敗を通じて段階的に死を受け入れることである。

その間、死者の甦りを期待しつつ、一方で死を畏れ、荒ぶる魂にならないよう本葬まで24時間体制で儀式を続ける。つまり、近現代における天皇のご遺体の埋葬法は土葬だったのだ。

奄美のお墓(撮影=鵜飼秀徳)

昭和天皇の崩御の際に約50日間続けられた殯

昭和天皇の崩御の際にはおよそ50日間、殯は続けられた。しかし、殯は皇族や皇室関係者にとっては大きな負担となる。上皇は2016年8月、ビデオメッセージの中でこのように表明されている。

《天皇の終焉に当たっては、重い殯の行事が連日ほぼ2カ月にわたって続き、その後、喪儀に関連する行事が、1年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることはできないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります》

「おことば」を受けて宮内庁は、将来的な上皇の葬送は、土葬ではなく火葬とすると表明。天皇陵も明治・大正・昭和天皇陵に比べるとかなり規模が縮小される。皇室の葬送もいま過渡期にあるというわけだ。