ネット対応が遅れて、日本のゲームは取り残された

――その後、2000年を超える頃から日本のゲームは世界一ではなくなってしまいます。なにが起きたのでしょうか。

アメリカがゲームに本格的に力を入れ始めたのはXbox(2001)あたりからでしょう。ハリウッド映画と同じような方法論で、ヒトとカネをふんだんに使うようになりました。さらに韓国でパソコンを使ったネットワークゲームが流行しはじめていたのですが、日本はネットに対応しませんでした。資本力とネット対応という2点で後れを取るようになり、日本のゲームは取り残されてしまいました。

――日本のゲームが世界一だった当時のレジェンドたちに話を聞いて、どんな印象を持ちましたか。

80年代や90年代はまだまだゲーム業界は若かったので、セオリーやルールはなにも定まっていません。まさに未開のジャングルをナタで開拓していたような時代です。その頃って、どんなジャンルでも一番面白いですよね。

もう形ができあがっていて、「こうするのが正しいんだ」「違う作り方するとクソゲーになっちゃうからダメだよ」ってガチガチに固められるんじゃなくて、色んな試行錯誤があったり、「ゲームってこんなことができるんだ、じゃあ俺はこういうものを持ち込むぜ」とみんなが手を替え品を替え攻めていた時代は、僕も取材のしがいがあるし、実際面白いものがたくさん出てきていました。

マンガ家の田中圭一さん(撮影=プレジデントオンライン編集部)

すごく活気のあるルネサンスのような時代だった

そしてドット絵の時代から、空間が描画できるポリゴンの登場という技術革新があって、そこで初めて、ゲームはスクロールだけのパズルやアクションものから、『ファイナルファンタジー』や『バイオハザード』のように、空間に入り込んで何かを疑似体験することが可能になりました。これは娯楽における大きな革命でしたよね。

だからこそ作り手側も、「あれができるならこれもできる」「こんなジャンルはなかったよね」と次々と革命的な作品を投入してきた。すごく活気のあるルネサンスのような時代だったとあらためて思いました。