社内の猛反対を受けながら『龍が如く』を出せた背景

――取材を続けるなかで、特に印象的だったレジェンドのお話を聞かせてください。

僕は個人的なものも含めて、第2話で取り上げた『アクアノートの休日』を手掛けた飯田和敏さんと、その「戦友」である『Dの食卓』で名高い故・飯野賢治さんですね。インタビューするまでは、このおふたりにここまで強い結びつきがあるとは知らなかった。2013年に飯野さんが亡くなったとき、彼が残した企画書を引き継いで飯田さんたちがとあるゲームを形にし、「それこそが俺たちの葬儀だ」と飯野さんを送ってあげた。この心意気には熱くこみあげるものがありました。

――飯田さんの「今の異端が未来のスタンダードになる」という言葉も、ゲーム業界はもちろん、どんな仕事をするにあたってもかみしめたいフレーズです。

『龍が如く』を作ったセガの名越稔洋さんが、社内の猛反対を受けながらも「任侠ゲーム」という新しいジャンルを切り開いたエピソードも強烈でした。「暴力表現、裏社会ものはダメ」「海外には売れない」「女性と子供が遊べない」といわれても名越さんは折れませんでした。まさにシリーズの主人公・桐生一馬のように熱く、企画を通すべく燃えていた。『龍が如く』にはそんな名越さんのパーソナリティーが宿っていると思います。

当時のゲーム業界では仕事で自己実現ができた

――80~90年代のゲーム業界には、「ゲーム作家」という言葉があったように思いますが、いまは聞かれません。クリエイターの熱量が減っているのでしょうか。

クリエイターの問題よりも受け手の問題ではないでしょうか。昔はいいゲームクリエイターやマンガ家を見つけると、その人のほかの作品を探していました。ところが今は作品を読んで「どんな人が作ってるんだ?」と考える間もなく、違うものがどんどん出てくる。だからおのずとゲーム作家にスポットが当たりません。僕の持論ですけど、コンテンツが多すぎて、作り手に興味を持つ暇がなくなっている気がします。

――そうすると、かつてのように日本のゲームクリエイターが世界を席巻することは考えづらいでしょうか。

レジェンドたちに話を聞いていると、当時のゲーム業界では仕事で自己実現ができたのだな、と感じます。給料の心配をせず、仕事に没頭していても、なにも問題なかったのです。ところが、今の若い人は違います。まず、新卒で就職しても初任給がめちゃくちゃ安い。そして当然のように給料も上がらない。