※本稿は、室井一辰『続ムダな医療』(日経BP)の一部に加筆、再編集したものです。
多くの人が医療機関に怒りを感じている
私は20年近く、医療や生命科学などの世界で取材と情報発信を続けてきました。私のこうした立場は家族や友人、知人には知られており、ときおり病気の相談を受けてきました。
2019年になってからも「病院を3カ所ほどハシゴして診断がつかないが、どうすればいいのか」「臓器に腫瘍があるそうで、今度手術だという。どう判断すれば」などの話を受けたばかりです。
いろいろ話を聞いていると、想像以上に多くの人が散々な目に遭っている。さらに言えば、医療機関に怒りまで感じていることがある。そう気がつかされてきました。
身近な人が病気になると、いまではまず、インターネットを使って医学的な知識を深めようとする場合が多い。インターネットにはあらゆる情報があふれています。ですが、玉石混淆の膨大な情報の海の中から、正しいものを見つけるのは困難を極めています。
日本語の医療情報は、基本的な情報は多いのですが、専門性の高い、本当に悩む人にとって役立つ情報は乏しいのです。結局、疲れ果て、私のところに相談に来ている。基本的に、そういう流れで話を受けることが多くなります。そうした国内外の情報充実度の格差に問題意識を持っていました。
「ムダな医療」を列挙するリスト
そんな中で、2013年、私は米国で、「チュージング・ワイズリー」という、世界的にも一目置かれる医学会が「ムダな医療」を列挙しはじめる動きに気がつきました。ウェブから確認できて、250項目ほども掲載されるリストが項目を増やし続けていたのです。その内容は微に入り細をうがつ、一般向けにも参考となるものなのに、専門性の高い内容でした。
「日本では有用な情報を得ることが難しいのに、これだけ突っ込んだ情報が医学会から出されているのは衝撃的だ」。疑問のないまぜになった好奇心が募り、それから私はムダな医療について考える日々を続けてきました。
では、そもそも医療のムダとは何でしょうか。日本の医療のムダを考える上で、まずここでの定義を確認しましょう。
一つは、デメリットがメリットを上回るような医療行為が行われている場合はムダと言えます。ある意味ではすべてのムダな医療行為に当てはまることです。
たとえばCT検査の問題を考えていただくといいでしょう。検査によって得られる情報の価値よりも、放射線被ばくによる発ガンリスクの上昇の方が問題視されるような場合。こうしたケースはじつは数多くあります。さらに、検査後の診断が誤ってしまうと、患者は不必要な精密検査や治療を強いられます。一見すると有用に思える検査も、場合によってはデメリットが大きくなり、結果としてムダと考えられるのです。