トヨタからユニクロに転職した理由
――トヨタが海外留学制度を復活された時に応募され、留学が可能になったのですね。
【木村】36歳の時でした。トヨタの人事担当者も「この年ならもうMBAを取っても辞めないだろう」と思ったのではないでしょうか。ところがMBAを取ると「社長をやりたい」と思うようになりました。トヨタのような大企業ではすぐには難しい。留学後、レクサス国内営業部で働いていましたが、社長にしてくれる会社はないかと探し始めたのです。
――それで海外のM&Aを進め、海外子会社の社長候補を探していたファーストリテイリングに2008年に転職されたわけですね。
【木村】ファーストリテイリングの柳井正社長の指示は「まずは本業を勉強しなさい」ということで、営業改革や人材開発などを担当しました。
――結局社長にはならず、2009年にインドネシア日産自動車の社長になられます。
【木村】ヘッドハンターが日産のインドネシアの社長はどうかと打診してきたので、すぐに応じました。インドネシアはまさにモータリゼーションの勃興期でとてもエキサイティングでした。アジア・パシフィック日産自動車の社長にもなり、アセアンや韓国、オーストラリアの統括業務を任されました。外国人社員らととてもスピード感のある経営ができたと思います。
部門の責任者にとどまっていては面白くない
――そこからボルボに転身されましたが、なぜですか。
【木村】ボルボが社長を探していたからです。家族は日本にいたので、そろそろ帰国したいと思っていたころでした。
――なぜそんなに社長にこだわるのですか。
【木村】例えば自動車産業を考えると顕著ですが、開発、製造、販売などどの部門をみてもグローバルな競争力がなくては生きていけない産業です。それぞれの競争力を高めるために部門ごとにサイロに閉じこもり部分最適を目指しがちです。しかしそれでは会社の全体最適を実現することはできません。ですから部門の責任者にとどまっていては面白くはありません。
一方、社長は部門間のぶつかり合い、矛盾を解消し、全体最適を実現するために知恵を絞るのが仕事です。私はそのプロセスがとても面白いと考えているので、社長をやりたいと思ったのです。