事業価値アップのフォローも欠かさず
そこで私は、たとえばお茶やコーヒーなどを0~10℃の冷蔵状態で管理するチルド飲料事業を売却したときのケースにおいて、次のように苦渋の決断に至った自分の気持ちを伝えました。
「チルド飲料事業は、将来の見込みがないから手放すのではありません。将来を切り開くために手放すのです。当社はいま社運を懸けて海外事業を強化しています。残念ながらチルド飲料には、資金を含めた経営資源をこれから3~5年間は優先的に回せそうになく、せっかくの事業拡大・事業価値向上のチャンスを失ってしまいかねません。それならばグループにとどまるよりも、グループ外の新しいパートナーと組んだほうが、チルド飲料事業は成長の可能性が高まると判断したのです」
そして、「チルド飲料事業をここまで立派に育ててくれた皆さんには、とても感謝しています。自分としても、愛するわが子と別れるようでつらいのです。まさに苦渋の決断でした」と付け加えました。すると私の気持ちが伝わったのか、グループの社員やビジネスパートナーの反対意見は、収まっていきました。そのなかで、あえて不満の声を上げなかった人の気持ちも静まり、納得してもらえたのだと思います。
もちろん、言霊で語りかけるだけではなく、具体的なフォローも欠かしませんでした。ビジネスパートナーには、売却によって事業価値がよりアップするような提案をしました。売却先の候補として信用できる企業を複数探し、ビジネスパートナーに紹介しました。喜ばしいことに、チルド飲料事業は、新しい経営体制に移行した現在でも、順調に成長しているようです。
一方でこの一連の事業再編に関わった社員には、「大丈夫、心配するな。必ずうまくいく。結果責任はすべて私が負う。君たちは事業売却の計画と遂行に力を尽くし、執行責任だけをしっかり全うしてほしい」とも語りかけました。事業売却について、100%腹落ちしている社員はいなかったでしょう。しかし、自分たちに求められているものは、「撤退のスケジュール遂行」というミッションだということが明確になれば、社員たちは新しい任務に集中できるようになるからです。
トップに求められる、人物・力量・実績
実は「声なき声」を意識するようになったのは、労働組合での出来事がきっかけでした。私は29歳から約10年間、組合の専従役員を務めたのですが、当社(当時はアサヒビール)は経営再建のため、東京の吾妻橋工場を閉鎖するといったリストラを進めていて、危機的な経営状態を知った組合側も、会社に協力せざるをえませんでした。