乳がん患者に伝えた「諦めてください」の真意
――では、女性がん患者の妊孕性温存でもっともネックになるのは年齢でしょうか。
がん患者さんの場合、年齢よりもまずがん治療までの時間の方が問題になります。
以前、35歳の乳がん患者さんが旦那さんと一緒に私のもとに来たことがありました。抗がん剤治療まであと2週間しかないタイミングで、月経周期的にも採卵するのが難しく、あともう4週間時間があれば受精卵の凍結ができるという状況でした。その時私は、「諦めてください」とお伝えしました。いくら技術的に妊孕性温存が可能だとしても、そのためにがん治療を遅延させることはあってはならないのです。
「赤ちゃんを作ることは私の権利。治療を遅らせて死んだとしても構わないのに、なぜ医者が止めるんだ」と言う人もいるもしれません。しかし対象は不妊患者ではなくあくまでがん患者であり、その方々の命を守ることが先決なのです。
――がん治療医のみならず、生殖医療の現場でもその方針が今では統一されているということですね。
そうです。また、産婦人科医は原則として子供の福祉を最優先に考えています。それは妊娠がゴールではなく、生まれてきた子供が両親のもとで元気に育っていくことを意味します。なので、生まれてくる子供にお母さんがいないことが前提となるような妊娠・出産をお手伝いすることはむずかしいと考えています。
「やるせない気持ち」を受け止めて一緒に戦う
一方でがん治療に支障がない場合は、妊娠する可能性が低かったとしても、お手伝いします。以前、高校生でがんになった女の子の妊孕性温存をしたことがありましたが、採れた卵子は1個だけ。正直、将来の妊娠を確約できる数ではありません。しかし彼女はそのひとつの卵の写真を壁に貼って、つらい抗がん剤治療を将来の希望を持って立派に乗り越えていました。
また、5年生存率が10%以下という非常に厳しい状況にいる20代後半のがん患者さんの卵子凍結をしたこともあります。最悪の場合、温存した卵子が使えない可能性もあるわけです。ただ、このケースでは採卵ががん治療に影響を及ぼすこともなかったので、その方が希望を持ってがんと戦えるのであれば、卵子はあっていいはず。だから「諦めてください」と言わなければならない状況とは生存率でも妊娠率でもなく、がん治療を優先できない時、ということなんです。