官僚は改革に身を投じる余裕がなくなった

【西田】現在はそういうわけにはいかなくなってきているのは自明ですよね。行政を動かそうとしても、あらゆることが加速化しています。結果がすぐに求められますし、インターネット上での世論や評価についても考えなければならない――。

【牧原】ええ。ただでさえ業務が忙しくなり、ゆったりと改革に身を投じる余裕が官僚たちにはありません。それこそ私が学生時代から90年代ぐらいまでは、官僚の政治家へのレクチャーと言えばA4数枚、箇条書き形式のものを資料として出している印象でした。田中角栄が「紙は一枚ですませろ。それ以上を持ってくるな」と言っていたように。今はA4にして何枚もの図表などのついたパワーポイントの資料を用意して、与党にも野党にも多くの説明コストをかけている。官僚たちが「俺たちが政治を回している」というよりも、「政治家に言われるがままに資料を作っている」と見えてしまう実態はあるでしょう。

東京工業大学 リベラルアーツ研究教育院 准教授・西田亮介氏

【西田】だからこそ、官僚のモチベーションをどのように引き出すか、言い換えれば政策の「作動」「不作動」について、あらかじめ議論しておかなければならない、しかし当の行政システム自体は十分に変化に対応できておらず、官僚も変化を適切に認識できていないかもしれないというわけですね。もうひとつですが、「作動学」の理論的な基礎として、ドイツの社会学者ニクラス・ルーマンの言葉を挙げられている点にも目を惹かれました。初期の頃は行政学者でもあったルーマンが「行政改革は行政の自己改革能力の改革」と指摘している、というものです。

「政治主導」が全ての課題を解決していく、という価値観

【牧原】社会システム理論の論者であるルーマンは、行政を外から一気に変えることはできないというシステム理論特有の認識のもと、行政自身が自らを変える論理をつかみ、外からはそれがより適切に機能するよう働きかけるべきだと言ったわけです。この指摘は、第二次以降の安倍政権で問題になった「モリカケ」問題や自衛隊の日報問題など、「政」と「官」の関係を見る上で重要なものだと思います。

【西田】「政」と「官」の関係のあり方や「行政改革」というものには、ラディカルな方向転換的はあり得ず、むしろ連続的に移り変わっていくようなイメージを牧原先生はお持ちのように見えます。では、そうした「作動学」の視点から見ると、現在の安倍政権はどのように評価できるのでしょうか。

【牧原】私は第二次以降の安倍政権は、ある意味で民主党政権と非常によく似ていると考えています。安倍政権と民主党政権に共通しているのは、首相や大臣の強力なリーダーシップと指示があれば、官僚たちが動いて状況を突破できる、という考え方でしょう。当然、政策に反対する勢力は野党だけではなく、党内にも存在する。しかし、大臣が組織を掌握していれば、組織はその批判に耐えることができ、大臣とともに動いて改革を推し進められるという想定が彼らにはあったと思います。

【西田】両者に共通するのは「政治主導」が全ての課題を解決していく、という価値観であるわけですね。当時の民主党政権も改革の大鉈をふるおうとしてうまくいきませんでした。