米中経済冷戦は覇権だけでない「秩序間競争」
ここまで見てきた中国の国家主導の経済システムは、戦後、欧米主導で築いてきた自由、民主主義、市場という価値観、秩序と相容れないものだ。WTOが認定する「市場経済国」とは到底言えない、国家が一体となった経済体制である。
こうした秩序は強権的な国々にもなじみやすいことから、海外にも広がりかねない。確かに民主主義国家に比べて、国家主義の経済システムの方が効率的で、変革へのスピードの上で圧倒的に優位に見える。中国も自らの中国モデルが戦後の欧米主導の秩序に優越することに自信を持ち、これに代わる統治モデルとして提唱しようとしている。そうした動きが世界の経済システムを大きく左右することになりかねない。
これは決して米国だけの認識ではない。欧州でもこうした認識が政府、識者の間で広がっていることに注目すべきだ。
日本の論者の中には、米中間での経済冷戦を「米中の覇権争い」「ハイテク覇権」と称して、100年前に英国から米国に覇権が移ったことになぞらえる向きもある。
「このような技術覇権を巡る主役交代は1930年代に英国から米国へ起こっており、100年経った2030年頃に米国から中国への主役交代を予感させる」と。
そういう面もあることは否定しないが、これは一面的だ。今起こっている本質は単なる「覇権争い」ではない。秩序が異なる体制同士の「秩序間競争」だ。
あえてこうした基本認識を指摘したのは、これによってどう対応すべきかが違ってくるので大事だからだ。
中国の危機感は深まりつつある
「覇権争い」ならば単に覇権国を巡る米中間の戦いと見ていればよい。ところが「秩序間競争」ならば、戦後築き上げた秩序を維持、強化するために価値観を共有する日米欧が連携することが大事になってくる。
米国のクドロー国家経済会議委員長やライトハイザーUSTR代表が最近、日米欧による「対中有志連合」に熱心になっている理由はそこにある。
一方、中国は最近、市場開放をアピールして、中国はきちっと対応していると国際社会に訴えている。
しかし、これで事態を乗り切れると見るのは甘い。
米国の根深い対中警戒感に基づいた攻め口に対して、中国の人民日報が「米国は、中国政府が支える経済システムそのものの解体を狙っている」とまで書くほど、最近になってやっと中国の危機感は深まりつつある。これは習近平主席が当初読み違えたものともいえる。これは中国の政権内部で、正確な情報、助言が習近平主席に届かなくなっていることも起因しているようだ。
しかし以上述べてきたことは中国の国家主導システムの根幹に関わるものだけに、根本的に見直すわけにはいかない。中国共産党の統治を支える仕組みでもあるからだ。これが共産党政権を維持するためには必要だと長年信じ、中国政府は必死に取り組んできた。ある意味、共産党統治の自信のなさの裏返しでもあるのだ。