恋人との結婚が視野に入り、正社員の道を探る
この頃の健司さんは、交際していた恋人との結婚が視野に入り、なにがなんでも正社員の道を探りたかった。
筆者は、二〇〇五年頃から雇用の不安定が結婚を妨げていることを問題視してきたが、近年は次々と数字の面で検証されてきた。これについては、総務省統計局の「就業構造基本調査」が最も詳しい。
出典:就業構造基本調査(二〇一七年)
二〇~二五歳の未婚率……雇用形態にかかわらず九五%超
三五~三九歳の未婚率……正規雇用者は二四.七% 派遣・契約社員は六〇.六% パート・アルバイトは七九.四%
そのほか、労働政策研究・研修機構「若年者の就業状況・キャリア・職業能力開発の現状」(二〇一四年)においても、雇用形態による結婚への影響が明らかになっている。男性で配偶者がいる割合は、二五~二九歳の正社員で三一・七%だが、パート・アルバイト・派遣・契約・嘱託社員などの「非典型雇用」全体では一三・〇%に留まる。「非典型雇用」のうち、パート・アルバイトに限るとわずか七・四%だ。
三〇~三四歳では、正社員が五七・八%、非典型雇用全体で二三・三%、パート・アルバイトで一三・六%となる。つまり、男性は「正社員」であることが結婚の条件になっているといえる。同調査では、年収が高い男性ほど配偶者がいる割合が高まることも示されていた。
リーマンショックで終わった「新婚生活の日々」
二〇〇八年九月、健司さんは零細企業の製本会社に採用され、三カ月の試用期間を経て正社員になる見通しがついた。勤務時間は朝九時から業務が終わるまでで、深夜の二時に及ぶこともあった。月給は二五万円。人生で初めて社会保険にも加入できた。健司さんが就職した時は、業績が好調で工場はフル稼働。二交代制で夜勤にも入り、残業代を含むと月収は三〇万円近くになった。
「もうすぐ正社員になれる。新婚生活が始まって、やっと安定した生活を送ることができる」
そう期待に胸を膨らませたが、リーマンショックが人生を変えた。
リーマンショックとは、二〇〇八年に米大手投資銀行のリーマン・ブラザーズが破綻したことに端を発する世界的な金融不安だ。その余波は世界におよび、当然、日本経済にも影響した。円高が進んで輸出製造業に不利な状態に陥ると、国内の工場では「派遣切り」が横行して、路上生活に追い込まれる失業者が激増した。二〇〇八年一〇月二八日の日経平均株価は、バブル崩壊後の最安値となる六九九四円台をつけた。
特に打撃が大きかったのが、金融や不動産業界だった。不動産会社の冊子作りをメインとしていた健司さんの会社の業績はみるみるうちに落ち込み、仕事は激減してしまう。残業もなくなり、手取りは二一万円に減った。そして、社長は健司さんを正社員にすることを渋り始めた。
「これでは、アルバイトを掛け持ったほうが稼ぐことができるかもしれない」
健司さんは、会社の実情を察して正社員登用をあきらめ、ダブルワークを始めることを決意した。製本会社では時給の高い夜勤のアルバイトを入れ、昼間は日雇い派遣で稼いだ。合計三〇万円ほどの収入となったという。
仕事漬けの日々が始まると、妻とはすれ違いの生活となり、一年も経つと夫婦関係は悪くなり、離婚を余儀なくされた。製本会社の仕事はさらに減って、アルバイトの仕事すらなくなった。