大手不動産会社の役員は、これまでどんなところに住んできて、将来どうするつもりなのか。業界のトップランナー3人に聞いた。第1回は野村不動産の松尾大作・取締役兼専務執行役員――。(全3回)

※本稿は、「プレジデント」(2018年12月3日号)の掲載記事を再編集したものです。

鹿児島市の「おばあちゃんの家」
DATA●鹿児島市●平屋建て●よく通った母の実家

核家族育ちでも実感できた「大家族」のよさ

創業以来、ファミリー向け物件を柱に、コミュニティを重視した住宅開発を続けてきたのが私たち野村不動産です。特に最近の大規模開発では、コミュニティづくりに積極的に関わる開発を行っています。

野村不動産 取締役兼専務執行役員 松尾大作氏

たとえば大規模分譲物件の「ふなばし森のシティ」(千葉県船橋市)では、多世代コミュニティの形成に取り組み、イベントやライブラリーのスペースを設け、ママ友サークルをつくったり、シニア向け住宅の共用部分を開放して子供たちとのつながりをつくるといった試みを行い、内外から高い評価をいただきました。

考えてみれば、私自身にも「人は個人であるとともに、コミュニティに生きるものである」という強い思いがあります。それにはおそらく、幼い頃よく遊びに行った祖母の家での体験も影響しているのだろうと思います。

私は1964年、鹿児島市の生まれです。同じ市内に母方の実家がありましたが、母が6人きょうだいの末っ子だったこともあり、私はとりわけ祖母によくかわいがってもらいました。祖母の家には、お盆や正月になると九州一円から20人くらいの親族が集まりました。鹿児島という土地柄もあり、おじさんたちは全員酒好きで、芋焼酎やビールを手に陽気に話をします。

その間、子供たちは隅に集まって遊んだりするものですが、私はいとこたちの間でも年少のほうで、お兄ちゃん、お姉ちゃんにあれこれ遊びを教えられました。小さい頃は泣かされたこともあったんじゃないでしょうか(笑)。私の家は3人きょうだいの核家族でしたが、祖母の家では親族の年長者たちと触れ合うことで「大家族」を実感することができました。いわゆる「社会性」を学ぶことができる貴重な場であったと思います。

ただ、最近は親族が一堂に集まるようなことも少なくなりました。その点、ほかのご家族も同じではないでしょうか。私たちが育ててもらったようなコミュニティの力が年々減退し、今や社会問題とさえ見られているのは大変残念なことだと思います。

大学を出てから88年に野村不動産に入社しました。最初に家を買ったのは、大阪に赴任していた新人時代のことです。入社後2~3年ほどは会社の独身寮に住んでいたのですが、寮生活が嫌で1人暮らしがしたくなり、神戸市に中古マンションを見つけて購入しました。小さな建物で、ファミリー向けの部屋もありましたが、私が買ったのは1DKの単身者向け。当時はローン金利も高かったので月々のやりくりは大変でした。