大手不動産会社の役員は、これまでどんなところに住んできて、将来どうするつもりなのか。業界のトップランナー3人に聞いた。第3回はオープンハウスの福岡良介・取締役常務執行役員――。(全3回)
※本稿は、「プレジデント」(2018年12月3日号)の掲載記事を再編集したものです。
日当りのよさを重視した目黒の自社物件
DATA●東京都目黒区●3階建て、3LDK●購入から10年居住
DATA●東京都目黒区●3階建て、3LDK●購入から10年居住
いい土地いい物件は「空気」でわかる
不動産をお求めになるお客様が重視されるポイントはさまざまですが、私は、土地や物件を見る際、その場所に流れる「空気」を重視してきました。
大学を出てすぐから不動産会社に身をおいていますので、数えきれないほどの物件を見てきました。そのおかげで、最近ではクルマを降りた瞬間に感じられる「空気」でその場所の環境がわかるようになりました。
中学生までは東京・江戸川区の都営団地に住んでいました。父と母と私の3人で、40平米あるかないかの部屋でした。工場も多く、あまり環境のいい場所ではなかったのですが、近くに商店街があり、下町らしい活気にあふれていて人情に厚く、暮らしやすい場所でした。近くに川があり、よく釣りをしたりしましたが、大雨や台風のときは自然の猛威を肌で感じられる場所でもありました。
その後家族で引っ越し、高校時代は千葉県の新浦安駅に近い公団、大学のときは海浜幕張駅が最寄りの賃貸マンションから通学しました。どちらも2LDKの物件で、両親と一緒に暮らしていました。
仕事最優先で決めた三軒茶屋のアパート
住む場所に何を求めるかは人それぞれ。私の場合は、子どもの頃に下町で育ったこともあり都心に住んでみたいという憧れがずっとありました。
はじめての一人暮らしは会社に入ってから。オープンハウスは当時、社員数50人、売上高が10億円に達するかどうかの小さな会社でした。この16年で現在はグループ全体で約2300人、売上高3800億円(2018年9月期予想)に達しています。