店内は「学校の教室」をイメージした
「パンの田島」の店内は、木造校舎時代の小学校教室を思わせる造りだ。
「コッペパンは学校給食のイメージが強いので、そのように演出しました。店舗スタッフの服装は給食当番風にし、スタッフルームも『職員室』となっています」(田島氏)
実は、歴史的にも関連性がある。もともとコッペパンは、昭和10年代に田辺玄平という人が発明した。ホットドッグのバンズに似ているが日本独特の形だ。関東近郊で暖簾分けしている「丸十パン」グループの始祖である田辺は、製パン技術を米国で学び、大正初期に日本で初めてイーストによる製パンを開発した人物だ(「全日本丸十パン商工業協同組合」公式サイトほか参照)。
学校給食の歴史はさらに古く、1889(明治22)年に山形県鶴岡町(現鶴岡市)の私立忠愛小学校(当時)で始まったとされる。学校は大督寺境内にあり、僧侶がお経を唱えながら近隣を1軒1軒回って米やお金を受け取り、貧しい家庭の子どもたちに昼食を提供したそうだ(鶴岡市公式サイト、全国学校給食会連合会公式サイト参照)。
戦後、「学校給食」と「パン」が結びつき、コッペパンが日常的に給食に登場するようになった。昭和20年代の給食献立として資料に残っている。ただし当時のコッペパンは固く、現在の柔らかいコッペパンを当時の児童が食べたら驚くだろう。
ドトール日レスの物流網を活用
現在、「パンの田島」は十数店を展開しているが、その場所は埼玉県から九州の福岡県まで店舗数の割に幅広い。一般に、離れた地域に食材などを届ける場合は、物流コストが高くつく。
そのため飲食業界の出店戦略で多いのが「ドミナント方式」だ。特定の地域に集中出店して認知度・効率性を高める手法で、利用者が通う頻度が多いラーメン店などでは有効だ。「パンの田島」が離れた立地に出店できるのは、「全国展開しているドトール日レスの物流網を生かせるから」(田島氏)だという。その場所選びについては、こう説明する。
「開業当初は『生活者の多い町』の『雨でも買い物しやすい屋根付き商店街』にこだわっていました。その頃から現在まで、まずは『出店できる物件ありき』で展開しています」
福岡市と名古屋市の新店が商業施設に入っているのは、デベロッパーからオファーがあり、条件面で合意したからだ。コッペパン店への注目度が上昇した結果といえよう。