2009年が明け、WTCビルを購入し、そこを大阪府庁舎にするという議案を大阪府議会に提出した。当然議会の反対派からは猛批判を食らった。WTCビル購入議案について山ほどの問題点の指摘を受けた。それらについては、府庁内においてほぼ検討済みで、対応策まで考えていたけど、議会は納得しない。

確かに、議会が指摘するいくつかの点については対応策を講じていなかった。それは検討をしていなかったからではなく、検討をした上で対応策は不要と考えたからだ。もちろん、そのような対策は不要という僕の説明の仕方に粗さがあったのかもしれないが、しかし政策を実行する責任を負わない側は、新しい案の問題点を指摘するだけで仕事が務まる。楽なもんだよ。

(略)

新しい案の問題点をどこまでクリアすべきかの相互理解が進まなかった

新しい案を議論する際には、「どこまで新しい案の問題点をクリアしなければならないか」、そして「クリアすべき問題点をクリアしたのなら、次は新しい案と現状の比較、または新しい案と他案との比較によって、新しい案の問題点をどこまで許容すべきなのか」について議論当事者が相互に理解しなければならない。

この議論当事者の相互理解が欠如したことによる失敗の典型例は、東京都の築地市場の豊洲移転問題である。

築地市場は老朽化して、何らかの対応が必要であったことは間違いがない。ここは大阪府庁舎問題と同じだ。そこで東京都庁は築地市場の移転先を色々と検討したが、結局まとまった土地は、東京ガスの火力発電所があった豊洲にしかなかった。しかし豊洲は土壌汚染のリスクがある。他方、築地における現地建て替え案は、専門家によって時間をかけて色々な案を検討したが、結局現地建て替えは不可という結論になった。

ここで東京都議会において、豊洲の土壌汚染を完全になくす方策が議論された。都議会は、築地市場をなんとかする責任を負わないので、豊洲の土壌汚染を指摘すればいいだけの立場。都民に受けのいい、汚染の完全除去だけを叫び続ければよく、楽で無責任な立場だ。そしてお金を用意する責任もないがゆえに、どんどん過剰要求になっていく。

「都民の安全・安心」というフレーズは、絶対的な力を持つが、重要なのはどこまでの安全・安心を確保するかである。このラインを決めるのが政治の役割だ。法律上の安全ラインでいいのか、それに上乗せをするのか、上乗せをするのならどこまでか。

豊洲は法律上の安全ラインは満たしていたのに、議会はそれでは納得しない。完全なる安全・安心というものを求めて、土壌汚染対策が底なしの青天井になっていく。費用も莫大にかかるが、議会はお金を用意する責任を負わないので、そこまでの対策をやる意味や、本当にその対策を実行できるのかについての吟味が疎かになっていく。